大型クルーズの旅(2024年2月26日~3月2日)

 仲の良い2組のご夫婦に誘われ、久々の6日間のクルージングの体験をした。H交通社を通じての予約はキャンセル待ちだったが、最終的に確保できて、部屋も友人のご夫婦と隣り合わせだった。

(2月26日)
 この日の旅程は空路で羽田空港から那覇へ飛び、那覇港でクルーズ船に乗り込む。藤沢駅から羽田空港行きの直通バスで気軽に行くつもりが、高速道路の事故とかで迂回路を経由で到着が遅れ遅れた。幸か不幸か飛行機も遅れたが些か気を揉んだ。 一緒のOさん、Sさんご夫妻とも挨拶は出来たが、慌ただしく機内に入った。
 那覇空港から港へはバス移動して乗り込むのだが、港に近づくにつれて停泊するクルーズ船(MSCベリッシマ)その巨大さに仰天する。データには以下が記されている。
  
乗客定員:5655人  乗組員数:1564人   全長:315.83m        全幅:43m 
巡航速度:22.7ノット 総トン数:171,598トン キャビン数:2201キャビン 就航年:2019年3月

 東海道線の15輌編成が300mなので、それを収める19階建ての巨大な横浜ビル駅の姿なのだ。それが目の前に迫って圧倒する。乗船にはパスポートが求められ、船内はそれに紐づけされたカードを首から吊るして動く。その手続きは中々に見事だけれども、この日の乗客数は4000人以上とかで、時間が掛る事おびただしい。

 キャビンに入れたのは20時半にもなり、夕食を摂るため急いで6FのレストランLight Houseへ向かう。我々はここでの夕食、そして、朝食などは15Fのビュッフェスタイルの食事が多かった。
  
 その6人円卓で改めて紹介や挨拶から楽しい食事を始める。Sさんは私の従兄弟。その紹介で初めてお会いしたOさんは高名な科学者で工学博士、早稲田の名誉教授でアメリカはNYにも滞在された。私の卒論の指導された新美達也先生、桑野博先生をご存知だったのには驚いた。科学分野でのトップエンドの方なのだ。 その後、私の仕事は大きく逸れたが、お世話になった両先生のかつての記憶が呼び起こされて嬉しかった。その卒論は記憶を辿れば朧気ながら「空間電荷制限電流ダイオード」だったか・・・?
 アメリカNYでは、お互いにハドソン川を挟んで対岸住んでいた事もあり、話は弾む。また、これまで多くのクルーズ船を楽しまれたとの事で、南極や地中海、アラスカなどを巡り、正に旅好きのご夫婦だ。比べて私達の旅は殆どが空路と陸路だった。

 船室に戻る途中に騒がしい光景に出会った。見事な天井のプロムナードで大勢の乗客がうねる様に踊っていた。これもクルーズのひとつの醍醐味なのだろう。

    春空も海をも隠すクルーズ船        甦る卒論のこと師の顔も


      クルーズ船(船内の写真より) と アーケードでのダンス・イベント

(2月27日)
 午前中の簡単な那覇市の観光が用意されていたので、そのプログラムで首里城に行く。2019年10月に火災で焼失した正殿を始め、多くの建物は修復中だが、47年前にタンザニアからの帰任の航空券を利用して訪ねた以来で、この観光は楽しみの一つでもあった。
 守礼門は変わらず修学旅行生も含めて多くの人を集めていた。石垣で固めた城内へ幾つか門(歓会門・瑞泉門・漏刻門・廣福門)をくぐり抜けながら石段を登り詰めて、修復中の覆われた正殿に到着した。その高台から那覇市や港は遠望できる。遥か遠くのビルの間にクルーズ船の巨体も眺められた。
 更にガジュマルの樹々を抜けて「西のアザナ(いりのあざな)」からの展望も素晴らしいかった。各所に躑躅の花か見事に咲き誇って、訪ねる客の目を楽しませて貰えた。ここにはバリ―フリーの見学コースもあり、配慮も行き届き、車椅子の観光客も来ていた。

      焼失の首里城いまは躑躅燃え        並び撮る守礼の門と遠足子

       

    首里城にて那覇市と海を望む               守礼門と修学旅行生


 次いで国際通りへ移動して一時間程をショッピングに費やす。ここは復興の象徴とか、「奇跡の一マイル」とも呼ばれている。買いもせずに泡盛屋や紅芋タルトの店を冷やかしながらの散歩したが、修学旅行生たちには人気があるようだ。近くに沖縄県庁の立派な庁舎も聳えている。歩き疲れてピックアップのバスを待つ間にベンチに座り込む人達・・クルーズ船の乗客には老人が多いのだ。

     竜天に登るや奇跡のワンマイル      水ぬるむ人慣れ鳩の脚赤し



                   那覇市の国際通りにて

 船に戻り、昼食後は船内のロンドンシアターで「琉球迎恩大祭」と謳う沖縄文化の紹介する歌や踊りを楽しむ。日本とは言え沖縄は可なり本土とは異なる文化だと改めて再認識した。
 Light Houseでの夕食メニューにロブスターを見付けたが、味にはそれほどの感激は無かった。イタリアの船なので料理はほどほどだ。酒はビールやワインは吞み放題なのだが、もう潰れる程に飲む齢では無い。
 夕食後はシアターでディーバ達のショウータイム。その迫力と舞台照明を堪能する。
 全てを終えて部屋に戻り、デッキから見下せば、タグボートがこの巨船を押し続けている。いよいよ出港するのだ。

      春凪へ巨船静かに出港す    春なれや耳に優しき「めんそーれ」



 琉球迎恩大祭にて           那覇港からクルーズ船を押し出すタグボート

(2月28日)
 翌朝は接岸した石垣島では、一緒の2夫婦は川平湾などの観光へ向かったが、我々は2年前に来ていることもあって、一日を船内で過ごす。デッキから眺める素晴らしい石垣ブルーの海は、好天にも恵まれて、益々その彩を際立たせる。船内を探索すれば、プールあり、バスケットコートあり、遊園地あり、キッズルームあり、家族が楽しめる施設が満載だ。旅客の半分は台湾人と思われるが、結構多い子供連れにも愉快に過ごせそうだ。
 フリー・ドリンクの権利を使って、時にはデッキチェアーで飲み物などを楽しむ。忙しさを忘れるこの余裕がクルーズ船の楽しみなのかも知れない。プエルトリコを思い出しながらの久々のピニャコラーダは良かった。
 夕方に戻った2夫婦と3度目のLight Houseでの夕食。この日のテーブルにはイタリア三色旗の敷物が置かれ、更に食事中に乗客・乗務員が一斉にイタリアの国旗色、赤・緑・白の三色のナプキンを振る盛り上がりがあった。何かの記念日だったらしいが聞き忘れた。
 食後はアクロバットサーカスを観たが、期待ほどでは無かった。
                 

 春風や高層デッキを何周も  のどけしや沖波白き珊瑚礁   春餐や三色の布はたはたと


 クルーズ船最上階の天空歩道橋    石垣ブルーの珊瑚礁       Light House から夕日

(2月29日)
 石垣島から夜間に移動して船は基隆港へ入る。日本時間より一時間遅れる時差がある。靄が立ち込める中をコンテナヤードから更に奥の桟橋に接岸した。別の桟橋には、これも大きな北欧のクルーズ船が停泊している。
 この日は3夫婦は別々の台湾観光で遊ぶ。我々は「十分天燈上げ体験と台北市内観光」へ向かう。このコースだけでもバス15台を連ねての移動だ。些か覚束ない日本語ガイドは一生懸命だ。バスの中で3000円分を現地通貨(600台湾ドル)に替えた。
 当初は台湾旧暦で「元宵節」を祝うのが天燈上げの由来とか、十分(じゅうふん)は発祥地で、今は一年を通して行なわれている。バスを降りて老街をしばらく歩いて平渓線の十分駅近くまで行けば、天燈上げのランタン屋が並んでいる。ランタン屋「阿媽の天燈」に入り、上げる天燈に願いごとを墨で大きく書く。4人で燈をひとつなので、静岡から来た若い女性2人と書き上げた。我々は「無病息災」「家内安全」と「元気一杯」と記す。静岡からの女史は難しい言葉を書いていた。天燈の底に火を付けて十分の空へ放つ。大きな天燈がたちまち青空に上って、他の天燈と共に視界から消えていった。
 近くの吊り橋からは十分駅には黄色い車体の列車が停まっているのが見える。その線路上の先では別のグループが天燈上げをしている。上がった天燈はやがては落下する。町ぐるみで清掃をしているのだろうが、所どころに残骸が見える。今少し時間があれば台湾のナイヤガラと言われる瀑布が見えたのに残念だ。


         願い込め天燈上る春の空        天燈の堕ちし骸や竹の秋



                 台湾・十分での天燈上げの風景

 台北に入って小籠包の昼食。上々の味だったが、大勢の船からの客へ、流作業のような配給には閉口した。その後はツアーに付きものの土産屋へ、ビール代も含めて替えた現地通貨は使い切った。この店には北投石を売りにしている。この石から放射されるラジウムが身体に効くとか、発見者、岡本要八郎の顕彰と、日本では秋田の玉川温泉からしか産出しないとか、、、店の壁に大きく書かれていた。

 忠烈祠の衛兵交替式を見学に向かう。先ずはこの国の為に殉職した烈士を祀る側堂を見学した。辛亥革命と抗日戦争の壁画の向こうには約30万の英霊を祀っている堂が控えている。丁度4時に始まる交替式では見事な隊を組みながら規律厳格に終えた。それを見学する我々観光客はカメラに収める事に集中する・・何か可笑しさ感じる。

     衛兵の靴音固し風光る           戦絵に重ねる今や冴返る


                 色彩豊かな忠烈祠      その衛兵交替式

 台北市内の行天宮を訪ねた。ここは関羽を主神に祀る道教ルーツの寺で台北では最も人気の高い信仰の場と云う。創設者は玄空師父(1911-1970)で起源は新しい。彼の教えを引き継ぐ青い服を着た導師の説教を聞き入る信者や、関羽などの像へのひざまづいての参拝する人達で廟の広場は人が溢れていた。易やお御籤で運勢を占うとかで日本語の対応もあるらしい。

       温きかな神々の髭みな豊か       戒壇の青衣の導師春マスク


                            行天宮にて

 船に戻って、下船時と逆に台湾を出国するパスポートの手続きを済ませての乗船となる。その都度見上げる船の巨大さに圧倒される。
 この日の服装コードはホワイト・カジュアルで楽しむ・・白シャツを着込んで夕食会場へ向かい、各ツアーから戻ってきた仲間のご夫婦と一緒の会食をした。ここのメニューは毎日替えている。

(3月1日)
 台湾の基隆を離れて次の寄港地は宮古島。下船してのツアーを楽しみにしていたが、天候不順で接岸できないとの事で、船はそのまま那覇港に向かうことになったデッキから海を眺めれば白波が立ち、この巨船も揺れている。船内は街歩きの様なもので、あちらこちらの店を眺めたり、ジムに行ったり出来るが、我々は15階のブッフェで酒とツマミなどを好き好きに摂りながら可なりの時間を費やし話しに華を咲かせた。
 それでも、昼間の時間の全ては潰せず、部屋に戻ってクルーズ最後のディナーへの服装コードのフォーマルに対応する服を選ぶ時間に使う。併せて、翌日の下船の為の準備などを始めた。
 ネットを使った句会の選句の〆切時間があり、幾度かスマホの通信を試みたが全て失敗。船内はWI-FIもあるのだが上手く繋がらなかった。その旨を訴えたが、「島の近くを航行するときに試みたら・・」とにべも無い返事。注意書には「時には衛星通信に接続などして、高額な通信料を課金される」と記されているので、何度かの試みの不調の後は諦めた。
  夕食後はシアターでのショウを観る。ヨーロッパの旅をなぞったストーリーで、音楽と映像をダンサーとバンドが舞台一杯に弾けていた。


      春嵐や寄港叶わぬ島ひとつ          春荒れて船内はみな千鳥足

          

          踊り子と歌手とバンドの舞台が連夜にわたって楽しめた

(3月2日)
 船は那覇港に到着。下船はスムーズに、といっても一時間以上を費やした。そして、那覇空港から空路羽田に到着。空港内の蕎麦屋で6人の打ち上げをして解散した。


  「日本のサファリ」のTOP      back                next             HOME