湘友会3635修学旅行(2024年1月10日~12日)

 今年も上質な関西旅行を楽しみました。関西在住の大下さんの綿密な調査と企画で、行程にはこれまで訪ねた事のない寺々を訪ねて、国宝、重要文化財など観る事が出来、大いに満足する旅となった。
 11名の参加で、皆で作った写真と俳句の記録はHPは湘友会に掲載される。ここは私の備忘録として残す。

1月10日(水)
 新大阪駅に全員が集合し、中型観光バスで泉佐野市の寺へ向かう。

慈眼院
 この寺は天武2年(673年)天武天皇の勅願寺として覚豪阿闍梨によって創建された泉州の最古刹である。火災や栄枯盛衰もあって、今は仁和寺の末寺となっている。
鎌倉期に建てられた少し小ぶりの多宝塔(国宝)、金堂(重要文化財)が濡れた苔庭に際立つ。


冬なれど青なす苔の古刹かな  お飾りも少し小ぶりの多宝塔  冬蜂へそっと阿弥陀の手が伸びる 
  
  
  慈眼院:多宝塔(国宝)        大日如来座像(重文)       金堂(重文)


日根神社
 慈眼院に隣接する日根神社は、かつて大井堰大明神と呼ばれ、「延喜式」にも載る古社である。5世紀初頭、この地の豪族・日根野造(ひねのみやつこ)の祖先・新羅国の億斯富使主(おしふのおみ)をここに祀っていた。当時の灌漑、今は井川用水として使われ、幟によれば、世界灌漑設備遺産として登録されている。


恵比寿さんあんた主役の十日市  参道を少し離れて焚火かな  灌漑の古代遺産や川涸れて


  
                            日根神社にて

金剛寺
 慈眼院より車で20分移動して河内長野市は天野山金剛寺を訪ねる。資料によれば聖武天皇の勅願により行基が開いた。その後、空海も修行したとも云われるが、平安後期には荒廃していた。その後、阿観が真言の寺として金剛寺の歴史が始まったと云う。高野山が女人禁制だったのに対して、女性の参詣も出来たので女人高野とも呼ばれる。


     堂寒むや明王燃えて怒りの眼             初東風や五色幕なす女人堂


 
 金剛寺:右から不動明王・大日如来・降三世明王(国宝)    女人高野金剛寺の境内

観心寺
 大阪・奈良・和歌山の境に位置して701年に修験道の開祖・役行者が開設し、後に空海が真言宗の道場とし、北斗七星を観請した。本尊は空海が彫ったと伝わる如意輪観音だが、秘仏でこの日は参拝する事はなかったがその写真(下)からはふくよかな色気のある美仏のようだ。
 境内には楠木正成の墓、奥まった高地には後村上天皇の陵墓もある。三重塔の一階分で終ってしまった建掛塔がある。正成が建てる途中に湊川合戦の討死したために中断されたユニークな形の塔もある。


賓頭盧の頭と顎を撫でて冬    御陵へと石段長し息白し    座布に大楠公の小さき武具


 
                観心寺:本尊の如意輪観音(秘仏)と内陣

 宿泊は京都の智積院の宿坊。部屋も建物も設備も新しいホテル並みに完備されている。

1月11日(木)

当麻寺
 奈良県葛城市にある當麻寺は中将姫の蓮糸曼荼羅の伝説で知られる。また、東西の三重塔がそのままで美しい。国宝の本堂は平安時代の寄棟造で本尊の當麻曼荼羅を厨子に納める。西南院には見事な庭園がある。

 白鳳の塔を逆さに冬の池    待春や水琴窟の音幽か   お飾りはどれも横向く寺参道


 
               當麻寺の二塔(国宝)と境内(最奥が国宝の金堂)

新薬師寺
 當麻持から小一時間の移動で新薬師寺へ向かう。華厳宗の寺で国宝の本堂やあの十二神将を祀っている。奈良時代の創建で本堂内には薬師如来像(国宝)を囲む様に十二神将が並ぶ。躍動的な十二神将は盗難された一体を除いて全て国宝だ。盗まれた一体は昭和に補作されたが、未だに盗まれた波夷羅像は今も行方不明と云う。この十二神将は十二支の守護神でもある。頭部に十二支の動物を載せている。因みにわが午年は「珊底羅」(さんてら)だ。内部の写真は撮れないので、www.shinyakushiji.or.jpをクリック。


堂冷えや十二神将みな怖い       仏像は撮影禁止懐手    五色幕掛ける本堂松の内



        
                      新薬師寺の本堂(国宝)

円成寺
 昼食を奈良の春日ホテルで摂って、円成寺へ向かう。寝殿造り風な庭園、楼門、本堂、そして、些か場違いな国宝の春日堂と白山堂など見どころは豊富なお寺。中でも運慶の処女作とも云われ大日如来は住職だ力を籠めての解説にも値する見事なものだった。


運慶の如来きりりと眼冴え     この寺に栄枯盛衰回青橙      楼門の飾り肘木や冬日和



 円円成寺の庭園と楼門(重文)             境内の春日堂と白山堂(何れも国宝)


浄瑠璃寺
 浄土を具現化した世界と云われるこの寺は、宝池を挟んで、九体の阿弥陀仏を祀る本堂(国宝)を彼岸、薬師如来を祀る三重塔を此岸として、あの世、この世を表している。


ねんねこの婆守る堂の九品仏   寒鯉のゆるり池面の塔揺らす   三重の塔のびのびと冬天へ



 
          浄瑠璃寺:宝池(ほうち)を挟んで左は本堂(彼岸)と三重の塔(此岸)


1月12日(金)

智積院:
 早朝の勤行と護摩焚きに参加し、その後はお坊さんの案内で智積院の名園と長谷川等伯一門の襖絵などに飾られ部屋を巡った。

百人の読経のうねる寒九かな   寒暁の護摩焚く僧の丸き背ナ   長江と廬山模す庭今朝の霜


 
      智積院に早朝の勤行の本堂へ        勤行の後、名勝庭園へ案内される   


醍醐寺:
 秀吉の醍醐の花見とは時期が異なるが、彼の権威がそここに見え隠れす醍醐寺。国宝の五重塔はそれ以前の建物だが、その均整が取れた姿は素晴らしい。境内を一巡して三宝院の庭と部屋を見学する。

  醍醐寺や冬まだ硬きさくら芽            襖絵や一段低き勅使の間
 

 
  醍醐寺の五重塔(国宝)                  三宝院の庭園


旧鳥羽街道から法界寺へ

 醍醐寺を出て旧鳥羽街道をバスは走り、平重衡の墓を経由して法界寺向かう。一の谷合戦で敗れ源氏に捕らえられ、鎌倉に送られるも、焼打ちにあった興福寺などの要求で、木津川の河原で斬首された。小さな墓が宅地にあった。法界寺は日野富子の日野家の氏寺で、また、親鸞聖人の生家でもある。

三位中将の墓は冷たし団地中    堂冷えや天女の剥げし太柱    俯いて虚無僧めくや枯れ蓮


 
平重衡の墓(この辺りで妻と最後の別れをした)  法界寺の二層屋根の阿弥陀堂(国宝)


その他
 移動中のバスでは平家物語の解説、朗誦もあり、大いに歴史の深さを味わい、そして、京都・奈良の豊富な日本歴史の礎をまたしても感じた。とても有意義な旅を作った大下さんには感謝の限りです。

  
冬うらら鵼の退治を朗々と    あおによし若草山は枯れ山ぞ   冬の川歌舞練場の灯を写し


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