中国地方の3日旅(S41同期会)

1024日(火)

新幹線の広島駅入口に2時に集合、それぞれの足を使って無事に集合。広島駅には修学旅行生、インバウンドの海外からの観光客の団体が溢れている。

酒井さんのアレンジによるアサヒ観光の大型タクシーで、故富永俊夫さんのお宅へ向かう。
仏前に線香を上げさせて頂き、富永俊夫さんの得意だった「ハロウィン衣装で広島市内を歩く」姿に江端さんの愉快な仕切りで、奥さんも含めて参加者全員で仮装して故人を偲びました。歓談して、ここまでの積りが、その後に、ご丁寧にも奥さんの大変な饗応を受けました。古酒も振舞われ、贅沢な膳も用意されて、誰も大いに満腹しました。

富永邸を辞し、原爆ドームから広島平和公園を腹こなしに歩き、夕闇が迫る中の散歩が気持ち良かった。予め酒井さんの予約してあった広島焼き(蔵屋)で歓談、更に、店を変えての仕上げはワイン二本でした。





     広島へ児も異人らも秋日和                 鉄骨の被曝ドームや十三夜     

1025日(水)

この日よりの2日間もアサヒ観光にお世話になり、22人乗りのマイクロバスでの8人の移動。 

ホテルを9時に出発して、島根県は津和野へ向かう。年齢も勘案して、1時間半に一度はトイレ休憩がある。

その一つ、道の駅・柿の木では「栗ようかん」を美人に勧められたとかで、何人かは衝動買いをしていたが、野菜類は大変に安いと農業に詳しい新美さんの話。

 山陰の小京都、津和野に入り、昼食を摂った「ことぶきや」の案内で、街を散策する。

 津和野出身の森鴎外所縁の建物や舞踊・鷺舞のモニュメントなどを巡った。街を流れる水路には色彩豊かな大きな鯉が餌をねだっている。昼食の「うずめ飯」は倹約を旨とするお達しに、具はご飯の下に隠し埋めた事から造られた津和野の郷土料理。

昼食後は津和野の太鼓谷稲成神社へ参拝。「稲荷」でなくて「稲成」と表記する。見事な朱殿を置く丘からは津和野の街が見下せる。また、徒歩で登れは千本鳥居をくぐって行けば、一層にご利益もあるらしいが、我々はマイクロバスを使った。



      石蕗咲くや津和野の水の鯉肥えて            町興す鷺舞像や紅葉照る                            





 
      秋うらら稲成と記す大明神             贅沢は敵新米のうずめ飯


次いで萩市にある毛利家菩提寺・東光寺を訪ねた。この寺は黄檗宗の禅寺で毛利の三代藩主・吉就(よしなり)が開基。五藩主夫妻の墓を祀り、家臣団も墓もある。500基程の灯籠が立ち並び、藩主墓苑前には亀趺(きふ)碑が並ぶ。堂々たる境内だが、手入れも大変なのだろうか、松枯れも見られた。





    片腹の凹む魚盤のすさまじき      木の実降る毛利墓苑は黄金比    

     列をなす亀跌(きふ)の刻字や赤のまま  参道に枯れて走り根屍めく       

 


    反射炉へ秋の西日が射す角度         幕末も血色か萩の秋夕焼け

                   湯処の七つの囲む春の竹

この日の最後は反射炉の遺構を見学する。海防強化の必要性を感じた長州藩(萩藩)は、西洋式の鉄製大砲を鋳造するために金属溶解炉として反射炉が試作された。「2009年には、韮山反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群として世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載され、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として正式登録された。」とある。

萩の反射炉から宿は「萩本陣」へ向かい、そこにて草鞋を脱ぐ。早速に温泉に浸り疲れを落とす。

火山のない萩での温泉は地下2000米から毎分200リットルの源泉を吸い上げると云う。14もの内湯や露天湯が庭を囲む様に造られていた。

宴会場ではビールで乾杯して、後はそれぞれに日本酒やワインなど、そして、夕食は・・・・とにかく美味かった。孫を持っている仲居さんへも須之内幹事長の心付もあって、サービス満点だった。


1026日(木)

先ずは松陰神社・松下村塾の見学。翌1027日が吉田松陰の誕生日という事で、地元の皆さんがそれを祝う準備や掃除などを始めていた。ここは、各自それぞれ境内を散策して、尊王開国へ活躍した明治の志士に想いを馳せる。



         色変えぬ松・松陰を学ぶ道       元勲は写真その師は手書き障子部屋


最後の訪問地は秋吉台・秋芳洞。先週の「ブラタモリ」で放映された同じコースを歩いた。




     ブタクサやカルスト台地の窪みまで            薄吹く秋吉台を子等駈ける

            水澄むや億年をかけ石灰華             身に入るや秋芳洞へシャッター街


秋芳洞出口のレストランで昼食を摂り、全ての行程を終了した。広島駅までのバスの中で参加者全員の俳号と作品が紹介された。



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