北東北の4日旅(クラブツーリズム)―A
*二日目(2023年9月13日)男鹿〜(バス)〜秋田白神駅〜(五能線)〜深浦駅〜(バス)〜竜飛岬
男鹿の宿から車は暫く八郎潟干拓地を走る。かつては琵琶湖に次いで面積のあった八郎潟は、戦後の食料自給率を上げるためにその60%は埋め立てられた。この干拓にはオランダの干拓技術協力を受けたと云われる。干拓事業へは全国から入境者を募集されて、その移住者たちの居住地もできた。しかし、皮肉にも現在は農業政策の転換から逆風になってしまい、加えて、農業を継がない次世代も多いとも云われている。
平坦な田畑が続き、発電風力扇を目にする事が多い。<因みに、風力扇の最も多いのは青森県(212基)で秋田県(120基)で日本海側に多いらしい。その売電先は首都圏とのこと>
あきた白神駅から深浦駅までは五能線に乗る。五能線は秋田県の奥羽本線の東能代駅から青森県の奥羽本線の川辺駅までの凡そ150kmで日本海の海岸線に沿っている単線だ。その中で特に風光明媚な40kmの区間を切り取る形でこの旅に組み込まれていた。
あきた白神駅には小奇麗に駅舎もあり、若いモデルの様な女性の駅長が仕切っていた。この駅には観光客の乗降も多いのだろう。世界自然遺産、白神山地の山毛欅原生林の木立をイメージしたと云われる「ブナ」号のしばし電車の乗客となる。四両編成の最後部の展望席のある車輌に乗れた。ここには五能線の記念スタンプなども置かれている。観光客を対象にした車輌なのだ。この席は写真撮影するには有難い。左に絶景の日本海が眺められるが、右の白神山地は雲っている。停車する駅の廻りにはひっそりと小さな町を成している。日本海の眺望を楽しむ様にスピードを緩めるサービスもあった。
下車した深浦はかつて北前船が風を待つ港を支える町として栄えた。


あきた白神駅にて 五能線の車窓より
秋蝶のするりと避ける五能線 湾曲の鉄路岬へ花芒 秋空を載せて小波の寄せにけり
鉄道と並行して走って来た同じバスに乗り込んで、国道101号線から339号線を北上する。しばらくは、五能線と同じ様な進路で、日本海の景を眺めを楽しむ。この4日間の旅の全てを通してバスの運転手とガイドは変わらない。経歴20年のベテランガイドの説明は蘊蓄溢れる楽しいものだった。
千畳敷を抜けて、津軽半島入口の鰺ヶ沢町の海の駅(道の駅)で各自が昼食と摂る。このツアーは何回が各自が勝手に摂る朝・昼飯があった。この町は大相撲で人気だった舞の海の出身地で、建物の二階は彼の所縁の展示があった。今も見事な相撲解説を続ける舞の海は地元では英雄なのだ。
昼食後、バスは北上して高山稲荷神社へ向かう。奥殿に昇り参拝した後、隣接する高山龍神宮は千本鳥居が素晴らしい。その行きついた小高い丘には魂を抜かれた全国からの狐の像が堂の内外にある。狐か犬か判らない様な物もある。


高山稲荷神社(創建は不明:鎌倉から室町時代と云われる) 魂を抜かれた狐の像
爽やかや郷の誉の舞の海 鮮やかや千本鳥居と白木槿 秋風や稲荷狐は魂抜かれ
更に一時間ほど北上して、津軽半島の突端の竜飛岬に到着した。白い灯台の立つ岬の突端からは北海道の松前半島が見える。津軽海峡を挟んで、その間の距離は20qほど。行き交う船はもとより、ここは渡り鳥の飛行ルートとしても重要で、それを調査する5〜6名の若者が望遠鏡や双眼鏡をもって観察していた。何度も質問されてうざったいのか、段ボール紙に「渡り鳥のカウント調査中」によくある質問とその答えを載せているのはご愛敬だ。岬には灯台の他にもレーダーらしき施設やアンテナなどの無粋な夾雑物もある。そう云えば、津軽海峡を中露の潜水艦が横切って行った事もあった。
近くに石川さゆりのヒット曲「津軽海峡・冬景色」の歌碑と押しボタンで歌が鳴り渡る仕掛けがあるのだが、歌詞は二番だけで竜飛岬を唄われる部分だけだった。
いまひとつ面白いのは、海へ下る階段が国道339号になっており、それが観光の売りにもなってる。興味を持って下れば、その通行証明書などが小さな小屋に置かれていた。
宿泊は竜飛崎温泉で、露天風呂からの津軽海峡の眺めは最高だった。


竜飛岬から夾雑物の先は北海道の松前半島 海峡を背景に灯台を撮る事は出来ない
海峡に動く潮目や花芒 海峡を渡る鳥らへ双眼鏡 夕月や海峡望む露天風呂
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