北東北の4日旅(クラブツーリズム)―@

秋田・青森・宮城を巡る。バス、鉄道、船を繋げて中々にユニークな企画の旅だった。

*初日(2023年9月12日)自宅〜東京駅〜(新幹線)〜田沢湖駅〜(バス)〜男鹿

 東京駅から東北新幹線で盛岡を通過して田沢湖駅駅で下車する。盛岡からは秋田新幹線と云うが在来線路を使うため時速は100キロ以下になる。
 田沢湖駅からは用意された観光バスに乗り込む。ツアーは12組の夫婦で24名だ。バスは夫婦が一緒に座れるように打席表が提示されていたが、後部座席はがら空きだったので、直ぐに、ひとり最後部へ移動した。
 バスは秋田自動車道などを通り日本海側へ向かう。窓からは稔りの田圃、蕎麦の花、そして、山間部には秋田杉が積み上げられている。

 蕎麦の花畑                         秋田杉の「かんざし積み」

   県道の脇にごろごろ捨て西瓜     秋田路や人無き蕎麦の花畑     露を置く簪積みの杉丸太

 男鹿の町の入口では巨大な赤鬼・青鬼のなまはげ刃物を振りかざして迎えてくれた。
 「なまはげ館」には男鹿各地のなまはげ情報に加えて、千差万別のなまはげが展示されて並んでいる。
 「なまはげ」の由来は、冬に囲炉裏にあたっていると手足に「ナモミ」「アマ」とこの地方で云われる低温火傷が出来るとか、それを剥ぎ取り、怠け者を懲らしめる事から、「ナモミ剥ぎ」から「なまはげ」などと呼ばれる様になったとか・・・今は伝統的な習俗として、若者や学生などが鬼になって大晦日に各家庭を訪ねてくるそうだ。

 隣接する「なまはげ伝承館」で、その真山地区のパーフォーマンスを身近に観る事が出来た。その後で、なまはげ伝説の発祥の地、真山神社を訪ねる。神主が丁寧に境内を案内された。この神社は武内宿禰が国土安泰・武運長久を祈願して瓊瓊杵尊などを祀ったことが起源(紀元)とされる。更に、平安時代に仏教が伝わると天台宗と習合され、その後、真言宗に転ずるなど変遷した。南北時代には光飯寺とも呼ばれ、海上の要地の男鹿の領主達の庇護を受けて繁栄を極めた。しかし明治の廃仏毀釈により寺は廃寺となり、今は礎石のみが残る。そこには樹齢千年以上の榧の樹が青々とした実を付けていた。

各地区のなまはげの展示                     真山地区の観光用なまはげを観る


真山神社の奥殿                               樹齢千年を越える榧の神木

   冷え冷えと男鹿百体の鬼面かな    地芝居や男鹿の鬼らの村起し   千年の樹齢今年も榧の実を

 次に男鹿半島の突端、入道崎灯台へ移動する。ここは北緯40度の位置にある事で、その碑なども建てられている。観光地の様に大きな駐車場と土産物屋などもあるが、我々の他に人も車も無かった。日本海の雄大な光景にしばし見とれる。その後に男鹿温泉郷の宿に入った。
 夕食は焼石で煮立った桶にスズキやタラなどの切り身を入れての味噌仕立ての漁師料理で、迫力ある調理台の周りに皆が集まって覗き込む・・そんな趣向だった。温泉湯は塩分が多いのが特長と云うが、風呂場が狭くてゆっくりする余裕は全く無かった。

 入道崎からの日本海                  男鹿の温泉宿からの日本海

  北緯四十度日本海へ秋の日矢   人気なき萱の刈られし入道岬    漁師まね鱸のアラの味噌煮とや
 

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