2022年1月23日〜27日

「石垣島連泊で巡る与那国・西表(+由布島)・波照間・八重山諸島巡り」と銘打ったU社企画のツアーに参加した。

@初日
 羽田集合でダイレクト便、午後6時に南ぬ島(ぱいぬしま)石垣島空港へ到着。

 流石に南国で気温は20度以上で快適な気候だ。
 初日の夕食は近くのレストラン「あじ彩」で八重山舞踊を観ながら島料理を愉しむ。

 
 南西諸島・先島諸島・その西を八重山諸島が占める           八重山舞踊

                   三線の二曲を舞えば島うらら          

@2日目

 与那国島へトランスオーシャンのプロペラ機で与那国空港に11時に到着。
 日本の最西端に位置し、台湾の東岸とは110キロほどの近さだ。
 
 人口は1700人程だが、尖閣諸島も近くで、自衛隊員がその10%、150人程が駐屯している。
島内2か所のレーダー塔から周辺海域や中国大陸に目を光らせているらしい。尖閣問題で結構に忙しいと思う。
 主要産業は、サトウキビなどの農業、牧畜、漁業など。
観光や豪快なマグロ釣りの客も多いというが、コロナ禍の今は島の宿も閉鎖されていた。

 バスの車窓から、祖納(そない)港、浦野の亀甲墓、与那国小中学校などを眺めて、「六畳ビーチ」で下車する。
アダンの生い茂る細道の先にから、眼下に六畳ほどの白いビーチが見える。タンザニアの珊瑚礁の浜と似ている。
 次の東崎(あがりざき)展望台では野生のヨナグニ馬が見られた。130頭は保護されている。
馬が逃げない様に柵の替りにテキサスゲートが巡らされている。
展望台からは70キロ先の西表島がうっすらと見える。
 
 
   浦野の亀甲墓                       東崎(あがりざき)の野生馬:とても大人しい       
 
  立神岩                      「アヤミハビル」博物館の入口(与那国中学2年生の作品)

 東崎(あがりざき)展望台から軍艦島、立神岩など岩礁に立つ景勝地を巡り、昼食となる。
島のカジキのカツや麩チャンプルーなどの与那国産の料理を楽しむ。塩気が少ない味が多い。

 この日はダイバーが海中で見つけたという海底遺跡を半潜水艦より見学予定だった。
しかし、先般の海底火山の爆発により、漂流した軽石によりエンジントラブルとかで、中止になった。
その余った時間を大阪から移住したバスの運転手兼ガイドが島内を面白く楽しく案内してくれた。
 
 この島にはアヤミハビルという日本最大の蛾の博物館があり、そこへも案内してくれた。
他に訪ねる人も見えなかったが、その蛾を中心に多くの蝶の標本もあり良い時間を過ごした。

 19年前にフジテレビのドラマ「Drコトー診療所」のオープンセット志木那島診療所がそのまま残っている。
島は異なっても、この与那国島が原作の雰囲気に合ったのだ。近く続編のロケを案内人は期待している様だった。
傍に小さな塩の工場がある。海水を汲み上げて釜で沸騰させる拘りの製塩を若い青年が挑戦していた。

 西崎(いりざき)灯台へ向かい日本最西端の眺めからは台湾も良く晴れた日には見えるそうだ。
少し天気が悪くなってきたが、尖閣諸島も近くで、自衛隊のレーダー基地があるのも頷ける。

 印象的だったのが「久部良バリ」、琉球王府の過酷な人頭税に苦しんだ島の哀史が3m程の岩の割れ目にある。
納税する織物、機織りが出来なった妊婦を、役人がこの岩を飛び越させて、その殆どが死んだと言われている。

 バスの窓からふたつの同じ様な篭が吊るされているのが時折見える。「ウリミバエ不妊虫の放飼いの篭」との事。
ウリミバエは蝿の一種でウリ類などの果実に卵を産み付け、幼虫(ウジ)が中を食い荒らす害虫なのだ。
ウリミバエの防除には「不妊虫放飼法」が効果があると解説がわざわざされている。
野生のウリミバエが発生して居る場所にその何倍の不妊虫を放し、野生虫と交尾させて子孫繁栄を防ぐらしい。
これらふたつの篭には、羽化して飛び立つ前の不妊ウリミバエの蛹が入っている。
農林水産省の補助で与那国島だけで100ヶ所に置かれ、マンゴやゴーヤーからの被害を防いでいる。

 島観光を終えて、空港で準備された夕食を簡単に済ませて、石垣島へ戻った。

 
「久部良バリ」:人頭税に耐えられない妊婦が落ちた岩   フジテレビの「Dr. コトー診療所」のロケ地

 
     西崎(いりざき)の最西端の碑               海底火山による漂泊した軽石


           新草や胎内回帰の亀甲墓         嘶くやテキサスゲートの草青む

  下萌えを食む野生馬への風   甘蔗刈るざわわざわわと風の道    大漁旗高くチャーターマグロ船  

          日の本の最も遅き冬没日         春待つや尖閣行きの連絡船  

  涛打つや神立つ巌へ鷹来たる   坂下り石敢闘當へ日脚伸ぶ     春近し医師待つ島の診療所
  


@3日目:西表島・由布島

 朝食後、石垣港から海路50分の定期船で西表島の大原港へ入る。
西表島は沖縄県では本島に次いで二番目の面積で、人口は2300人。
動物の多様性が認められて、2021年7月に世界自然遺産の登録された。
山がちで平野が乏しく山や森林が海岸近くまで迫って、居住地は海岸沿いの僅かな平地に限られている。

 マラリアの発生地であったため、古来から集落は少なく、琉球王朝時代に人頭税を払えない人を他の島から強制
移民させる施策が何度も行われるも、失敗が続いた。
 一時は炭鉱開発も進むも、太平洋戦争中に衰退し、加えて、マラリアで開発が進まず、結果的に大自然が残った。
また、この太平洋戦争中も波照間島などから学童などがこの島に疎開したが、戦災ではなく、マラリアで多くの命を失ったと聞く。

 港からバスに少し乗って、仲間川マングローブのクルーズに案内される。日本最大のマングローブの林で、亜熱
帯地域の干満差の大きい汽水域のこの地域は好条件という。全長17kmの仲間川にマングローブ林の広さは158
haの広さを誇る。、
 この川では漂木(ヒルギ)科が70%程を締める。呼吸根をもち、その形は種によってさまざまである。
メヒルギはわずかに板根状になる。オヒルギのものは膝状に地表に顔を出す。
若い船頭が船を近くにまで寄せてのきめの細かい説明が良かった。

 
    マングローブの林                             ヒルギの胎生種子

 下船してまた少しくバスで走れば、由布島への遠浅の汀が繋ぐ水牛者の乗り場に着く。
そこから由布島へ水牛車でゆっくりと渡る。御者の若い女性は牛の性質や気持ちも説明しながら、そして、
三線を奏で、安里屋ユンタを歌ってくれた。潮風を浴びて、正に旅のハイライトでもあった。



         西表島から由布島への移動

 由布島で昼食を摂り、「亜熱帯植物園」を自由散策する。様々な木々がや花々が、そして、様々な蝶も生育して
南洋の雰囲気だ。
 ここにもマングローブの散策路があり、そこでは、大型の南洋の蜷や、タンザニアでも目にした木登り鯊も見る事
が出来た。
 
  
   亜熱帯植物園にて、ブラシの木(ショキショキ)   トビハゼ          5cm以上もある蜷     

 島には天然記念物のイリオモテヤマネコも棲息している。他にも、ヤシガニ、カメ、カンムリワシなど、頭にイリヤ
マテを付けてそのまま自然保護の対象となっている。動植物には手厚く、人間には厳しい野生の国だと云う。
例えば、道路にはこれらの動物が渡れる横断トンネルが幾種類も出来ているとか、それも、お互いがぶつからない
様に何種類もトンネルが横断していると、ドライバーの解説だ。人を跳ねるより、動物を轢き殺した方が大きく報道
されると云う。
 
 因みに、由布島の人口は23人だ。

 石垣島へ戻り、石垣市郊外の庭付きの八重山料理の「舟蔵の里」で優雅な夕食を摂った。数週間前にタモリさん
が来たと店の人が話していた。夕食後、灯に薄ぼんやりの庭を散策していたら、ハブに注意と言われて急いで戻った。


  軽石と海雲まみれの汀かな   ヤマネコの棲む山すでに大笑い   三線も牛車もうらら由布島へ  

          冬ぬくし牛車止まりつ糞と尿      南国や蜜へ集まる巨き蝶  

  マングローブに群れ海蜷の化石めく  水温み魚飛び跳ねて木に登る   入学や島にひとつの信号機


@4日目:波照間島

 波照間島への船が出るまでの時間で、近くの石垣島JAマーケットを訪ねた。野菜や魚肉や香辛料など何でも揃
う石垣島の食の店だ。中でも山羊の肉を幟を立てて販売促進しているのが興味深い。

  石垣港から定期船で竹富島と小浜島を経由して80分の航路だ。途中から外洋になるので、船の揺れは激しく、
冬の約半数が欠航するほどだが、この日は通常運行した。
 人口480人(内子供は100)の波照間島は人が住む島としては日本最南端だ。(無人島では東京都の沖ノ鳥島)
 
 この島からは南十字星が見えるので、それを観光のひとつににもしている。星空カンソクセンターは夏にだけ使
われ、南十字星を観測する人たちが集まる。88の夜空の星座のうち84の星座観測ができるとの事だ。
 
 居酒屋「あがん」で昼食してからバスで島巡りに出る。途中、波照間空港に立寄った。1972建設後、2007年まで
使われていた比較的新しい空港だ。ところがオーバーランの事故で空港は閉鎖され、定期路線は廃止された。し
かし、2015年に新しく空港ターミナルが出来て、島民たちは空路の再開を期待している。ガイドの女性はお産の為
に石垣島の病院へ大揺れの船で渡った苦しさを話してくれた。

 サンゴの岩で築いた琉球王府の狼煙台(コート盛)、砂糖黍畑の刈り取りなどを観ながら「日本最南端」のへ向かう。
昭和50年に本土から来た学生が作ったと云われる碑が置かれていた。
 
 名石(ないし)集落をしばらく案内されて歩く。子供が多いためか、立派な小中学校が建てられている。
家々は赤瓦で南国風情が溢れるが、人口流出で無人家もある。新築や改築する際には木材などを他の島から入
れるために費用が大変らしい。貴重な産業である泡盛酒造店で幻のボトル購う。
 
 島の祭祀は女性の司(ツカー)が行う。その場は御巌(おがん)といって男性は入れない。そんな霊場をみたり、
また、16世紀、琉球王朝に対して反乱した傑物オヤケアカハチの生誕とされる碑も見たが、ガイドの説明は無かった。

 この日の最後に訪れた美しいニシ浜の白い砂浜にも軽石の帯が寄せていた。ここは「日本のベストビーチのNo1」
に選ばれてから観光客が増えた。横浜からこの島に住み着いてしまった若者と少しの会話をしたが、ゆったりとし
た充実した毎日の中で、リモートワークをしているとか・・新しいライフスタイルかも知れない。

 
    日本最南端の碑                         刈り取り中の甘蔗畑

 
     波照間唯一の交番(警官はただ一人)       琉球王府時代の見張り台


             2017年トリップアドバイザーの「日本のベストビーチ:No1」のニシ浜


      春光やその名あかるき波照間島     ひろびろと離島の糧の甘蔗刈る  

             古屋根に獅子の魔除けやハイビスカス
    


 波照間島から復路は大型船で往路より揺れは少なかった。

 この日の夕食は各自は勝手に摂れるツアープログラムだった。自由といってもに初めての土地なので添乗員に
付いていった。コロナの影響で店が閉じているのもあり、別のホテル付属の「ひるぎ」と云う小奇麗な八重山食材を
使ったレストランだ。地場のビールと石垣牛、それに、シャコ貝の刺身を楽しんだ。

@石垣島

 ツアーの最終日は石垣島の観光。この島は人口45000人を擁して八重山諸島の中心的な島となっている。
 朝の出発前に、南海山桃林禅寺を訪ねた。薩摩藩から八重山への社寺建築の進言を受けた琉球王朝7代目国
王によって、1614年に鑑翁西堂を開山とし桃林寺が創建されるとともに、隣地に権現堂が創建された。桃林寺は
当初は真言宗であったが、禅宗となった後、現在は臨済宗妙心寺派の寺院になっている。
 1771年の八重山地震による大津波(明和の大津波)で桃林寺及び権現堂の建造物が破壊されたが、桃林寺は
翌年に再建され、権現堂も1786年に再建された。この津波では仁王像2体も流されたが、石垣島西部崎枝湾の海
岸に打ち上げられているのを発見され、戻されて山門に置かれている。八重山群島で唯一の仏教寺。熊野権現を
祭神とする権現堂が隣にある。

   
  桃林寺の山門より             仁王像            権現堂


         椿つややか島に禅寺ただひとつ           春昼や肋浮きたる仁王像
 

 バスに乗車して、石垣島北端の平久保崎灯台へ向かう。車窓からは八重山諸島32島(有人島は11)の経済、
行政、観光の中心を担う市街地と730記念碑や八重山農林高校などを抜ければ、サトウキビ畑が広がる。途中、
山を切り開いての自衛隊基地(建設中)も垣間見えた。

 平久保崎灯台では好天気になり、珊瑚礁の海は様々な八重山ブルーとなった。太平洋を右に、東シナ海を左に
ぐるりと真っ青な水平線に囲まれると云った感じだ。海風に吹かれて暫し景観を楽しんだ。


                   石垣島北端の平久保崎灯台
         

 平久保崎灯台での景観を満喫して、車は島の東シナ海側を南下する。車窓から沖縄県で最高峰の於茂登岳(標
高526m)、更に野底岳(282m)のユニークな山容が眺められ、それらに纏わる伝説や、黒島から野底へ強制移
民の話などを「つんだら節」を交えてガイドの解説が続く。島の言葉は今では殆ど使われず通じない。

 昼食は、「ときリゾートのコーラルテラス石垣島」で上質なイタリアンを堪能した。県道からゴルフカートで案内され
る海辺の洒落たレストランで、入口にはフラミンゴが向かえてくれた。プライベートビーチも備えていて素晴らしい会
員制のクラブらしい。

  
          フラミンゴの出迎えがあり、南洋の木々を抜けるとプライベートビーチ

 昼食後は近くにある「米原のヤエヤマヤシ集落」へ行く。天然記念物に指定された巨大なヤエヤマヤシが林立し
ている。このヤシは世界中で石垣島と西表島だけに自生する一属一種の極めて貴重な種と記してある。鬱蒼とし
た森に高さ20m以上の幹が直立する。成長が遅いので、大きいものは数百年の樹齢らしい。訪れる人も普段は
多いのか、集落の入口には土産物、黒糖を売る店があり、気さくな女性が砂糖黍を絞った汁を飲ませて貰った。

 次に川平湾へ向かう。この湾は石垣島観光の目玉のひとつで、グラスボートで透明度の高い珊瑚礁の海を眺め
た。これだけの規模の珊瑚礁は世界でも希だとボート船長は自慢している。見事な珊瑚礁、熱帯魚、そして、ウミ
ガメも見る事が出来た。シャコガイなども見えたので、子安貝も採れそうだが、誰も興味は無さそうだ。

 
                     川平湾のグラスボートと底に現れたウミガメ
      

 最後に石垣御神埼灯台に行った。切り立った断崖に立つ灯台で、見事な東シナ海が眼前に現れた。1952年にこ
の岬の沖合で大きな遭難事故があり、35名の死者行者だした。その慰霊碑は海に向かって、灯台と共に海の航行
の安全を見守っている。
 灯の手前に見知らぬオジサンが海へ落ちる夕日を眺めながら写真撮影をしてくれた。その上手さにツアーの仲
間たちは驚き、何枚もシャッターをお願いする人まで現れた。石垣島への最後の好印象を抱いて、石垣空港へ向
かい、空港で夕食を済ませた。羽田へは午後10時着で無事に帰宅した。

 
                    石垣御神埼灯台と親切なオジサンが撮ってくれた写真

コロナで海外旅行はままならないが、この八重山諸島の旅はその代替えにも勝る楽しい旅だった。


      春光や四囲とりどりの海の青          春潮やグラスボートの底へ亀

           板根の高さ深さや鳥の恋             冬眠はしないぞハブの注意札

      春望や港に金の具志堅像            糶近しブランド牛の郷の春



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