これから更に奥へ約900段の岩山を登る。ここからは脚力に自信のない人はロバやラバに乗って行く。歩きでは石段を交えた細道を所々で息を継ぎながらゆっくりとマイペースで登るので、次第にグループはバラバラになるが、一本道なので迷うことは無い。時には、下って来るロバと行き違う。これには、狭い岩山の道なので注意が必要だ。ロバは谷側、歩行者は山側となっているのだが、ロバの勢いに押される事もしばしばあった。途中に「ライオンの墳墓」と言われる鉤型の穴の洞窟も見て、更に急勾配の細道を登る。時折、後ろを振り返りながら息を整える。少し道幅の広い所では、ベドウィンが土産物屋で手織りスカーフや、ペットボトルの水などを売っている。
遂に、ペトラ最大の墳墓「エド・ディル」の広場に到着した。高さ40m幅50mのこの建物は1世紀に建てられ、後に、キリスト教の修道院としても使われた。ここは標高900mで、この日のゴールとなっていたが、更に奥へ上る小径がある。足場に気を付けながら登れば、四囲を眺める頂上に至る。そこからは、青空の下に、赤いゴツゴツした岩の山々が一望でき、また、眼下に「エド・ディル」が山に組み込まれた様子も見てとれる。
下りも転ばぬように気を付けながら、もと来た道を戻る。昼食を摂った場所でグループの集合となったが、最後の人が到着するまで20分も待った。
そこから、ホテルへもと来た道を戻る人と、希望者は更に別ルートを使って、ビザンチン時代のモザイク、そして、王の墳墓群へ向かう人と分かれる。ここまで来たのだからと、更に歩くグループに入る。
ビザンチン教会は ナバティア人の王国の首都であったぺトラの遺跡の上に紀元450〜500年に建てられた。床のモザイクはギリシャの影響を受けた物語性があるようだ。今少し時間を掛けたいが、もう、ここへ来ることは無いだろう。
モザイクの教会の先には山に彫り込まれた王墓がいくつもある。これまでの遺跡とは地質が若干に異なるのか、この王墓軍の岩肌は更に見事な朱色の縞模様だ。そんな王墓のいくつかに入ってみたが、棺のあったと思われる洞内もこの色がそのまま残っている。また、外から眺めれば、夕日に映えて、朱の色目が実に素晴らしい。
墳墓にはギリシャからのコリント式墳墓などもあり、交易で栄えたナバテア人が様々な文化を取り入れた遺跡なのだと大いに納得した。今は風化浸食されたままなので、これらの維持保存が必要だ。
よく歩いた一日だった。ホテルに帰って、スマホの万歩計が35876歩示し、最高記録と表示をしていた。今までの記録を大幅に150%以上もオーバーしていた。
岩壁に響く蹄の音涼し 岩盤の地下に水脈花柘榴
緑陰に人待ち顔のロバ二頭 ラクダからロバへペトラの登山かな
眼下にはペトラ神殿ケルン積む 少年のロバ御す狭き登山道
磨崖墓の朱を染め上げし大西日 ベドウィンのスマホ繰る店日除
馬車馬は解かれ飼い葉へ夕涼し
7日目(4月28日)
今日は旅のハイライトであるペトラ遺跡の観光が組まれている。
この遺跡は死海とアカバ湾の間の渓谷にあり、紀元前2世紀に栄えたナバテア王国の中心的な町だった。ナバテア人はアラビア人の一部族だったが、この地を拠点としてラクダを使った通商貿易で大いに栄えた。
紀元前1世紀にローマ帝国の属州になり、その後、主流になっていたアラビア半島の西を陸路で通る交易ルートから、次第に紅海を通る海上ルートへ移った。そのためペトラの重要性が低下し、その衰退の勢いを止めることができないまま、106年にアラビア属州に併合という形で滅亡した。
遺跡は1985年にユネスコの世界遺産(文化遺産)へ登録され、2007年には新・世界七不思議に選出されている。
ヨルダン政府が管理している入口からいよいよペトラの聖域となる。昨夜訪ねた最初の神殿(エル・カズネ)への道はシークと呼ばれ、美しい縞模様の岩肌に挟まれて、次第に細く、そして深い峪底の道になる。100万年前に出来た自然の造形で、岩の深さは90m、幅は3~8m程、その峪底を歩く。脚力の不安な人は馬車が利用できる。道には馬糞が落ちていることもあるが、素晴らしい事に、すぐにこれらは清掃されて、臭いとか、靴が汚れる事は殆どない。しっかりと管理されているのだ。そう言えば、昨晩のイベントで使われたロウソクなども見事に片付けられていた。
この細い道の右側には上水道、左側には下水道の址がみられ、ナバテア人の水利工事の技術は優れていたとされる。(砂漠の多いイスラエルはこのナバテア人を見習って自給自足の農業灌漑を推進した)
また、迫りくる岩壁には階段上の墳墓やオベリスク型の墳墓、生贄の台などが彫り込まれている。やがて岩の間から見える高さ40mの神殿が見え、この瞬間が実に感動的で何枚も写真を撮った。そして昨晩のイベントを楽しんだ神殿広場に出る。
砂岩の岩肌を彫ったこの建造物「エル・カズネ」は宝物殿とも墳墓とも未だ不明だが、一番上に置かれた壺にはファラオの宝があると信じられ、それがライフルで撃たれたとか、ここで撮影されたインディジョーンズの話のような物語もある。浸蝕されてはいるが、交易していたと思われる様々な外国の彫刻群も壁面に彫られている。馬車の終点であるこの広場は、観光客が最も集まる場所なので、土産物店があり、飾ったラクダやロバなどが地元ベドウィンの人達によって営業されている。
⑨ローマ劇場
➉王墓の通りにて
⑪公園警察
⑫ローマ時代の神殿跡
⑨ローマ劇場
➉王墓の通りにて
⑪公園警察
⑫ローマ時代の神殿跡
⑬ローマ時代の列柱道路と夾竹桃
⑬ローマ時代の列柱道路と夾竹桃
⑭ライオンの墳墓
⑯ロバの休憩
⑮エル・ディルから更に上る
⑰頂上よりの眺め
⑱ペトラのビザンチン教会のモザイク
⑲王墓の美しい岩肌
②階上はナバタイの一般人の墳墓
㉑コリント式墳墓↓
⑳ナバテア王墓群↑
⑦エル・カズネの上部
③風化した隊商の彫刻
⑤岩間にみえる感動
①オベリスク墳墓(エジプトの影響)
一休みして、エル・カズネの奥へ行けば、道は深い谷から抜け出たように広くなり、いくつもの王の墳墓を右手に眺め、左手には岩を刳りぬいた劇場が見えてくる。4000人の収容可能とか、ローマ以前は葬儀などに使われていた。王以外の貴族の墓なども岩山に幾つも彫り込まれている。
やがて、ローマ時代の遺跡、すなわち、列柱道路を抜けてトライアヌス帝の支配を記念しての凱旋門や大神殿の跡など、これらは山を彫るのではなく、石を積み上げた遺跡として残っている。しかし、数日前に訪ねたジェラシュの様な町の規模までには発展しなかった。この先のレストランでバーベキュー昼食を済ませる。
⑥エル・カズネ
⑧客待ちラクダ
④シークの深い峪