5日目(426日)

ガリラア湖を一望する「山上の垂訓教会」がこの日の最初の観光。イエスが聴衆に八つの幸福を説いたと言われる。それに因んで、教会は八角形で、庭園内の木陰では所々でそんな説教が行われている様だ。

次いで、バスで10分程のタブハ村の「パンと魚の奇跡の教会」を訪ねる。イエスが分け与えた二匹の魚と五つのパンで5000人以上の空腹を満たす奇跡を行った。この教会の動植物の床モザイクは精緻にて素晴らしい。

教会の中庭の池に見事な錦鯉が遊んでいた。聞けば、鯉の養殖は日本の技術もあって、今ではイスラエルの輸出品にもなっている。新潟の地震で日本の鯉の養殖所が壊滅的な打撃を受けた時には、イスラエルより鯉で蘇生されたとの事。

「ペトロ首位権の教会」へ歩を進める。イエスが愛弟子ペトロに天国の鍵をここで与えたされている。それ故にペトロは最初のローマ教皇として列せられている。

更に、イエスの父ヨセフがしばしば泊りがけで訪れ、幼いイエスの父と一緒にここを訪れていたため、最も熱心に伝道活動をしたとされるカペナウムに残る5世紀のシナゴーグの遺跡とペトロの住居跡を見る。
 ペトロや彼に続く教皇の説教がこのシナゴーグで行われていた。今はそぐわない現代風の教会がペトロ住居跡に覆いかぶさる様に建っていた。崩れたシナゴーグ遺跡ではハイラックス達が遊んでいる。

各国からの巡礼団のバスでこのカペナウムの駐車場は満杯になり、次々と団体がこれらの遺跡を廻っている。ここではタンザニアからの巡礼にも出会い、スワヒリ語で少しの挨拶を交わした。

昼食は「パンと魚の奇跡の教会」に因んで、テラピアの素揚げを楽しむ。その後は近くのガラリア湖畔を歩く。
ガリラア湖は標高―200mで、淡水湖としては世界で最も低い。浜にはヤマハのマリンジェットが一台置かれていた。真夏のような強い日差しの中だったが、水辺を歩き高揚した宗教的な意識を現実に戻した。

その後、バスで一気にイスラエルを出てヨルダンに入国する。この入出境は何の問題もなく、午後6時前には死海沿岸のリゾートホテルに到着出来た。夕日の沈む対岸に昨日宿泊したティベリアの町がぼんやりと見える。

閑話休題(イスラエルについて)

1972年に日本赤軍の惹き起こしたテルアビブ空港のテロ(26人殺害)で、世界中の空港で、日本人に対する視線が極めて厳しくなった。私もケニアのナイロビ空港では、取調室に連れていかれ、身体検査を徹底的にされた。

1976年のウガンダのエンテベ空港の奇襲は、イスラエル軍がハイジャックされた人質救出作戦で大成功をおさめた。この作戦を遂行するために、隣国ケニアにはイスラエルの諜報機関が入った。宿泊したホテルに強面の男達がにわかに増えた記憶があるが、後で知れば、この作戦の前日だった。イスラエル軍人で唯一の戦死者は現大統領のネタニエフの兄だ。エンテベ事件は映画化もされた。

1991年のソロモン作戦では、政局が混乱したエチオピアから延べ35機の軍用・民間機を使って、黒人ユダヤ教徒14000人を短時間の25時間で大量輸送して成功させた。この時、ジャンボ機に1087人を乗せての輸送はギネス記録となっている。

1980〜90年代にはニューヨークの近郊に駐在したが、一目で分かるユダヤ教徒や世俗派的ユダヤ人が多く見られた。マンハッタン34番街の宝石商はほとんどがユダヤ系(これは世俗派?)、ニューヨーク州にはユダヤ人だけの町(ここは超正統派?)も存在していた。私の上司もユダヤ人と言っていたが、彼はカジノに強い超世俗派だった。

テラピアの素揚げ料理

ペトロ首位権の教会にて

タンザニアの巡礼団

海抜マイナス200mのガリラア湖畔

対岸はゴラン高原朝ぐもり 

 山上の垂訓いまも風若葉 

涼しげにタンザニアから巡礼団 

 棕櫚咲くやガリラア湖畔の兵士たち

熱砂かな店に駱駝の革草履

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↑山上の垂訓教会
↓パンと魚の奇跡の教会にて

イスラエルの新兵たち