翌14日は今回の旅でローマ立ち寄りの目的でもあるヴァチカン美術館へ早朝より向う。地下鉄A線で最寄り駅を出た頃から雨になる。美術館へは既に長い行列が出来ていて、待つ人達へ傘売りが声を掛ける。入口は空港のようにセキュリティが厳しい。いろいろな言葉が飛び交って、団体ツアーが入っていく。個人旅行の我々はその波に呑まれるように、入って、流れて、そんな感じだ。

そんな流れの中で次々と教科書で見た馴染みの絵画や彫刻などを見ることが出来る。ラオコーン像、ラファエロの間の「アテネの学堂」、そして、圧巻はシスティーナ礼拝堂に描かれたミケランジェロ天井画(33−37歳に制作)と正面の壁画「最後の審判」(60歳代の8年間に制作)。この作品は流れに逆らってじっくりと礼拝堂の壁沿いのベンチに腰掛けて見る。圧倒的な迫力にいつまでも去りにくい気持ちにさせられる。

残念ながら、ダ・ヴィンチの「聖ヒエロニムス」は見損なった。それとシスティーナ礼拝堂の写真撮影は禁止されていた。多くの団体ツアーが次々とこの礼拝堂に入り、都度、静粛を求める警備の叱責のような声があった。静かなざわめきが波のように寄せては引いた。しばしの観賞の後にわれわれも立ち上がれば、人波の中でサン・ピエトロ寺院へ流れ込み、巨大な聖人たちに見下ろされていた。教皇はアメリカへの旅で留守だったが、多くの観光客と信者が集まっていた。

ヴァチカン市国の面積は世界最小で、人口も聖職者やスイス傭兵など1000人未満だが、国連に議席をもつ独立国。しかし投票権は放棄している。1929年のムッソリーニ政権との間で締結されたラテラノ条約で、警察、教育、国防などの国の機能の多くをイタリアに依存している。

サン・ピエトロ広場から抜けて、近くのパスタ屋に入りスパゲッティーを取る。壁には教皇や司教などの写真が貼られ、いかにもヴァチカン市国の店の風情だ。その後サンタンジェロ城へ歩いたが、月曜日は閉館だった。致し方なく予定を変更して、地下鉄でコロッセ駅へ向う。

コロッセは二度目で、フランスのアルルやシチリア島でもシラクーサでローマ時代の円形闘技場を見たが、この5万人収容のコロッセの規模は格段と大きい。草花や雑草が生えていた。コロッセを出て、コンスタンチィヌス帝の凱旋門を仰ぎながら、ゆっくりとローマ時代の高級住宅地のパラティーノの丘を歩く。大庭園や邸宅の遺構に往時の栄華が思われる。

旅の最後の晩餐夕食は、矢張り魚介類とパスタに決める。生ハムと蝦とパスタとワインで決める。案内書で見つけた店だが、これも合格。今回の旅ではとうとうイタリア料理に徹底した。和食も中華へも行かなかったし、その存在すら少ないのかもしれない。


列につくヴァチカンまではリラの雨

プラトンら春を背にしてざわざわと

ラファエロの部屋を見あげてあたたかし

審判のイエス髭なしリラの冷え

春の闇ミケランジェロの顔の皮

百千鳥遺構はキケロの広間かも

「その後のサファリ」のTOPへ
HOMEへ

back

next

<ヴァチカン美術館:ラオコーン>

<パラティーノの丘の貴族邸宅跡>

<コンスタンチィヌス帝の凱旋門とコロッセ>

<ヴァチカン市国のパスタの店>

<ヴァチカン美術館:ラファエロの部屋のアテネ学堂>

<ヴァチカン美術館:地図の廊下>

多言語の遠足の群コロッセへ

驟雨かな終着駅の異邦人

この晩に突然、強い風と雷雨があった。テルミニ駅の近くの安宿なので、思わぬ天気に、大きな声で走る物音が聞こえた。我々はこの直前に宿に着いていたので被害はなかったが、翌朝には、雨で汚れた店を掃除している人が多かった。