タンザニア懐旧旅行

いつかまたサファリへ行きたい、あのタンザニアの強烈な太陽と素朴な人達に接したいとの思いが叶えられた。

きっかけは「海外に子供用車椅子を送る会」の送り先として、アフリカ大陸で最初にタンザニアが決まった事で、その贈呈のお手伝いとしての参加も兼ねて渡航し、1970年代に生活したダルエスサラームの街やサファリでの野生動物を堪能した。

一緒に旅した仲間は、タンザニアで一緒に生活し、「海外に子供用車椅子を送る会」の理事のK夫妻、そして、この旅行のプランを聞いて、一度はアフリカを見たいと云って参画した友人YさんとEさんの合わせて6名となった。

<移動に30時間>

9月26日(水)18時、羽田に集合し、関空で乗換えてドバイ経由ダルエスサラーム行きの満席のエミレーツ航空を利用する。そしてドバイ空港で5時間の乗り継ぎ時間がある。現地時間のAM4:45に到着し、10:00発まで不夜城の様な空港で休憩する。中近東はもとより、アジア、アフリカ、ヨーロッパを結ぶハブ空港として、多くの乗客がここで乗り継ぐ。回教徒が多いのは当然だが、ラマダンの時期なので乗客は日の上らぬ前に食事をする。また空港内には礼拝所も男女別々に設けられている。初めての場所はいろいろと興味深い。

ドバイからダルエスまでも満席で、乗客にはタンザニア人が増え、日本人は殆ど見えない。27日の14:30に到着する。日本で事前に査証を取っていたが、機内で事前に入国カードの配布が無かったために、その記載に少々もたつくも、無事に通関した。

秋日茫々アラビア半島砂ばかり

唐過ぎて天竺を航く夜長かな

事前に旅のアレンジを依頼した現地のJATAツアーからドライバーのダニエルさんが、日本語のボードをかざしての出迎えで先ずは安堵する。これからのダルエス滞在中は、このダニエルさんの運転する8人乗りのマイクロバスに全てお世話になる。彼はその名前のようにクリスチャンで、断食はしていない。彼からレンタル携帯電話を手渡され、今後の連絡に活用する手はずが出来ていた。メッセージもあって、早速その電話で、友人のCさんとツアー社のN社長に連絡する。事前にメールを通じて連絡されているので、スムースに事が進む。

様変わりした街を抜けて新装のキリマンジャロホテルに到着、ダルエスの港を見える部屋に入り、自宅からホテルまで実に30時間だった最初の移動を無事に終えた。当初、ホテルの受付では部屋が無く、少しのトラブルがあった。上級の部屋をもらって解決したが・・

ツアー社のN社長とロビーでアレンジされた旅の説明を受ける。22年間もタンザニアに住んでおられ、この国を熟知されているので、我々の旅程の希望を丁寧に応えてくれた。タンザニア国内のバウチャーなどを受取り、我々は、このホテルで夕食を済ませる。

N社長はNHKの生きたシーラカンス撮影の取材班と同行してタンガへ出張する直前だった。(後日、無事に撮影は成功したと聞く。放映されるのが楽しみだ。)

おしゃぶりの嬰の目爽か黒い肌

<蟹と海老に先ずトライ>

<明方のドバイ空港の免税店>


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