言葉に不安もあり、フランスの地方への個人旅行は希望してもなかなか難しい。それが、フランス通のIさん家族との旅で叶えられた。Iさんは柔道専門家として、フランスのグルノーブルへ柔道ミッションとして3年間も滞在していた。食通でもある。これで、オーストラリア、アラスカに続いて、3年連続の一緒のレンタカー旅行である。
次代(いずれも大人)も一緒で、合計6名による愉快な旅行が始まった。
豊かなフランス3500キロ(2004年7―8月)
7月27日、成田空港のゲートで再会を喜ぶ。ANA便でパリのドゴール空港へ、ほどほどの空席もあって、運転する私を横になれる4席で寝かしてくれた。
レンタカーは7人乗りの紺のプジョー807である。荷物も入って、後ろの席は狭く苦しかったようだ。今回の運転は全て私が担当した。左ハンドルとマニュアル・チェンジのシフト切り替えに戸惑う。何度もエンストした。エンストしなかったのは最後の日だけであった。
ドゴール空港から、初日の宿泊地トロワへ向かう。途中、ディズニーランドの標識などを見ながら走ったが、この道は少し遠回りになっていることが判明。戻っても既に余り変わらない距離まで進んでしまっていたので、そのまま、ランス経由の道を取り続けて、無事にホテルへ到着した。初日でもあり皆すこぶる元気が良い。
早速、夕食へ出る。遅かったが、近くのテラス・レストランでワインを楽しみ、フランスの味を楽しむ。Iさんは食通でもあり、メニューの翻訳だけでなく、詳しい説明もしてくれる。別々なものは、互いに食べあって様々な料理を楽しめる。この夕食のヒットはムール貝であった。鍋一杯に茹であがって、そのうす塩の効いた味は抜群。
朝食を町の広場のテラスでとって、ステンドグラスの美しいサン・ピエール・サン・ポール大聖堂を観る。英仏間の百年戦争でフランスにとって屈辱的なトロワ条約で、この辺りまでイギリス領となってしまった。これに抵抗して1429年、ジャンヌダルクのオルレアン解放をきっかけにフランス軍の反撃が始まった。この聖堂はジャンヌダルクと縁がある。
翌7月28日は先ずトロワの町を観光する。この町は木組みの家が多い。石材に恵まれないため、フランスの他にはない、工法が育ったらしい。少し曲がった柱と漆喰の組み合わせが何とも云えない味を出している。
晩餐は路地のテラスで涼しかり
赤のルートを走った
トロアのテラスレストラン
大聖堂のステンドグラス