エコノミークラス症候群の遠い避暑

避暑空港尾翼に笑うエスキモー


その後のサファリのtopへ
next

アラスカを走る(2003年7月)

昨年のオーストラリア、タスマニアへの旅行を受けて、この年、2003年も、Iさん夫妻と旅行を企画した。そして、今回もレンタカーを使った自由な旅とした。先ず、航空券、レンタカーとアンカレッジのホテルを自身で電子予約した。そこから先のロッジやクルーズなどの予約は、ハイ・シーズンなので日本語で交信出来る地元の業者へ依頼した。

7月22日(火)に関空からのIさんとは別々に、我々は、成田からシアトル経由でアンカレッジへ入る。シアトルからアンカレッジへの離陸直後には、レイニア山が一段と高くその勇姿を見せていた。

アンカレッジ空港はアジアより欧州便などが殆ど直行便に代わったために、旅客便は減少しているが、貨物便のハブになっているのか、結構、日本、中国、台湾などのアジアからの貨物機が駐機していた。勿論、旅客機はエスキモーの顔を尾翼に描いたアラスカ航空機がほとんどである。

アンカレッジへは正午に到着、長時間の飛行に疲れたが、レンタカーでミニヴァンも無事に借りる。Iさんの到着まで四時間近くあったので、その車で、10キロほどの宿泊先へ行くことにした。ここで、チェックインすると共に、ホテルの受付に預けられていた地元旅行社からの全行程の予約ヴァウチャーを受け取る。部屋に入って、少し休んで、空港へ行く。Iさんの便も予定通り到着。再会を喜び、ホテルへ行く。「会うのはいつも海外ですな!」とIさん。

両替をするために、アンカレッジ市内へ行く。両替するために、たまたま、駐車メーターへのコインの手持ちが無く、車を動かしたりしたが、五番街と六番街を主に市内を二周も回れた。都市のサイズは小さい。いくつも花籠を目抜き通りに吊るして、街をカラフルに飾っている。
因みにアラスカ州は152キロ平米(日本の4倍)で全米第一位、人口は60万人で全米50州で48番目のようだ。(州の鳥は雷鳥、勿忘草が州花である)
 その日の晩餐は、ホテルのレストランがなかなか良さそうであったので、そこで取った。アラスカの地ビールのアンバー色が印象的であり、味も旨かった。白夜で明るいが、その晩は疲れてよく眠る。

シアトルを離陸・機窓よりのレイニア山