2日目(621日)

 目覚めれば、既に、ロシア連邦はサハリン州コルサコフ(旧樺太・大泊)港に投錨されている。

 船の入国審査終了後、パスポートを各人に返却され、コルサコフ港桟橋へ通船(デンダーボート)で上陸し、希望者は半日オプションの観光。バスで雨のコルサコフ(旧大泊)とユジノサハリンスク(旧豊原)を巡る。

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 日本統治時代は樺太庁がユジノサハリンスク(旧豊原)に置かれ、また、コルサコフ(旧大泊)は稚内と連絡船が運航されていた主要な港町だった。

(旧拓銀の大泊支店の建物)

 コルサコフ(旧大泊)から1時間余りのでユジノサハリンスク(旧豊原)に到着。最初に訪ねた聖ニコラス教会は木造のログハウス的な小綺麗な新築教会で、この教会を中心に公園も開発されている。宗教を否定されたソ連時代からの脱却がこの教会再建にもなっているのだろう。

(聖ニコラス教会)

 何度もこの船で旅をされているので、乗務員とはすっかり顔馴染み。決まったテーブルで、給仕グループは常に同じだ。

 食事後にこのフィリピン人給仕のひとり、ナードがテーブル手品を目の前で披露して楽しませてくれた。実に巧みで、種は未だに解明出来ないが、愉快で贅沢な時間だ。これ以降、毎晩披露してくれる余禄を得た。

 船に戻り、展望風呂で寛ぎ、この日もKご夫妻と一緒のテーブルで夕食を摂る。

 K氏は樺太で終戦を迎え、家はソ連兵に接収された。「樺太では平和裏にソ連に譲渡と云われているが、銃をもったソ連兵の前で譲渡契約に署名させられた」と話された。

 次に、旧樺太庁の建物をそのまま使ったサハリン州郷土史博物館に入る。
 先住民族の暮し、ヨーロッパ、日本、及び、ロシアの探検者のコーナーなど興味深い。もう少し時間が欲しいほど、日本統治時代と終戦時から遺こされた物や写真の展示も豊富だ。また、サハリンの動植物の剥製や標本には、幻の魚、イトウや揚羽蝶の存在などを知る事が出来る。この日本風の建物をバックに新郎新婦の記念写真がよく撮られるそうだ。

(テーブル手品師・ナード)

(樺太庁舎を使った郷土歴史館と展示された日露国境の標石)

 数時間のサハリン滞在だったけれど、車窓からの拓殖銀行や王子製紙の古い建物が再利用もなくそのまま残っていたのが印象的だ。
 また、所々の家壁にレーニンが画かれ、公園にはレーニン像が残っている。体制は変わっても、歴史として遺して置くとガイドは話していた。

難民のようにボートで上陸す     遺構めく拓銀支店夏の雨  



   国境の碑は展示物標夏微光      うつせみのようなアイヌの武者鎧

食 事後の20時〜21時はメインホールでショウなどが用意されて、船旅が飽きない工夫がされている。
この晩は奇術ショウを観て、更に、船内シアターで映画「はじまりのみち」を楽しむ。その間、船は抜錨して20時に出港した。