第8日目:1月29日(水)−1

 ホテルは3階の部屋で、ベランダから1キロほど先のギザの3つのピラミッドがはっきりと見える。
 アルジャジーラのテレビ放送ではISの日本人人質殺害に関する報道を伝えている。この部屋のケーブルではCCTV(中国放送)が英語とアラビア語の2チャンネルを使って放送が映る。NHKの海外放送は映らない。
 このホテルの横ではJICAの支援で新しい考古学博物館の大規模の建設が行われ、それにはNHKの技術的なサポートもあるらしい。部屋の横では日本援助の建設が進み、部屋の中では日本放送が映らないとは皮肉な事だ。

スフィンクスを前に、左からメンカフラー王(孫)、カフラー王(子)、クフ王(父)のピラミッド

宿のベランダから

スフィンクスの尾

その後、カフラーのピラミッドの脇に建てられ「太陽の舟博物館」に入る。
 1954年に発掘されたクフ王の死後の世界で使うとされる木造船で、長さは43mもある。発掘されてから14年もかけて再現された。5000年前のレバノン杉のオリジナルを組み立てたもので、王の御座所なども舟の中央部にある。今、第二の舟も発掘されて復元中と云う。

クフ王の「太陽の舟」

化粧板の残るカフラー王のピラミッド

 ホテルを出発し、最初にクフ王のピラミッドに向かう。高さ137m(本来は146mだったが、頂上部分が欠けてしまった)の大きさは迫力満点だ。かつて表面は外装用の化粧石で覆われていたが、今では全て盗まれてごつごつとした石が階段状に剥き出しになっている。
 ピラミッド内部の玄室に入る内部の細い通路は人ひとり行交うことが出来ない様な状態。玄室には何も無いが、好奇心に惹かれて殆どの人が入り込む。観光不況でもここ玄室へ入る人は多いので、好況時には長い行列になると予想できる。コースを外れてピラミッドの積み石を登り始めた中国人の若者がポリスに大声で諌められていた。

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エジプト美人の立つピラミッド

感激を表現する若者

それはさて置き、この日からギザ地区の観光が始まる。
 エジプト古王国の第4王朝のクフ王(没BC2566年頃)、カフラー王(没BC2532年頃)とメンカフラー王(没BC2503年)の大ピラミッドは正に一度は見たい人類の遺産だ。

霾天やビルの谷間のピラミッド       ラクダ立ち大きく揺れるサングラス  


           春雲や王三代のピラミッド 


三角の日陰くっきり四角錐         黄塵や尾を巻き上げるスフィンクス

クフ王のピラミッド、玄室入口側の面

続いてギザの大スフィンクス(全長57m、高さ20m)を正面から近づける場所へバスで移動して、そこから三大ピラミッドを背にしたスフィンクスを見学する。ピラミッドより更に謎の多いこの聖獣はいったい何時に建造されたのか、未だに論争が続いているらしい。真後ろのカフラー王のピラミッドと同時期との見方が普通だが、年代測定では更に数100年古いとか、雨の浸食址からBC7000年頃と主張する学説もあるらしい。

頭部は別石だが、石灰岩の丘を彫りだして作り上げたらしい。普通の起源説によれば、その頭部はもともとカフラー王に似せてあったらしいが、アラブ人やナポレオンの大砲の標的として鼻を落されたとの俗説も流布しているが真実は不明だとか。

40年前に訪ねた時にはスフィンクスの尻尾は見えなかったが、今では見えるように掘られていた。周りはしっかりと整備され、スフィンクスの後ろにまで回れる様になっていた。

クフ王の子のカフラー王のピラミッドは高さ143mで、表面を覆う化粧岩も上部にそのまま残っている。孫のメンカフラー王のピラミッドは65.5mと祖父や父に比べて可なり小さい。それらを目の当たりにして、世界のどこにもない、とてつもない時間の長さと壮大な想いが果てしなく広がる。