<第3日目:1月24日(土)>−2
昼食をはさみ、貴族の谷の「ラモーセの墓」へ行く。ラモーセは第18王朝アメンヘテプ3(没BC1349年)〜4世(没BC1334年)時代に宰相であり、テーベ市長も兼任し、神官団のトップにまでなったと云われる。
墓は2部屋から成って、その大きな部屋の壁面には多くの素晴しいレリーフが残っている。ここでの注目は「泣き女」の壁画。これは当時泣くことを職業にしていた女性たちがラモーセの死を盛大に悲しむシーンが描かれているとの説や、ガイドのモハメド氏の様に家族の女性たちの姿と云う説もある。両方が混じっている描かれている事も考えられる。また、ラモーセ夫婦達のレリーフも細緻を極め、往時の生活を窺うことが出来る貴重な美術だ。
発掘された職人の町
第18王朝期から、王家の谷にある王墓の秘密を守るために、集まって暮すようになった。生活物資は支給され生活は恵まれていた。この町から30分ほどで、仕事場の王家の谷へ着くことができた。ところが、第20王朝では物資の支給が滞り、史上初のストライキを起こしたと記されている。
外敵には勝利したが、内政的には上述の史上初のストライキがあった時期でもあり、またラムセス3世も木乃伊の傷から最後は暗殺されたとも云われる。
葬列に泣く女たち旱空 鮮やかや熱砂の底の黄泉の国
黄塵や王墓近くに石工村 風あらば歌う巨像の夕端居
ラムセス3世(没BC1151年)の葬祭殿(メディネット・ハブ)
敵を撲殺するラムセス三世
ラモーセの墓にて:髪などとても繊細な夫婦のレリーフと葬儀に大泣きの女たちの壁画
メムノンの巨像
一月と云うのに真夏の様な炎天下の観光で些か疲れたが、素晴しいものを見た興奮の方が大きく勝る一日だった。
ホテルに帰るバスがワンストップしたのが、メムノンの巨像のある場所。この座像はアメンホテプ3世(没BC1351年)のものとされ、後ろには彼の葬祭殿があったが、後の王たちが石材として使用し、完全に破壊された。風が吹くと、巨像の積まれた石の隙間から音がするので不思議がられたが、今は補修工事で静かになった、と云う。
この時代にヒッタイトの破壊やミケーネ文明も滅亡していることから、激動期でもあり、「海の民」を始めとする攻撃を三度も受けたが、いずれも勝利を収めている。
次に向ったメディネット・ハブはラムセス3世(没BC1151年)の葬祭殿。
第20王朝のこの王はしばしば「最後の偉大な王」などり呼ばれ、新王国が繁栄した時代を統治した最後の王であるとみなされている。彼のこの葬祭殿にはシリア・パレスチナ遠征のレリーフが記録されているが、ラムセス2世(没BC1212年)の葬祭殿のそれを摸写しているとの事。同じ文章が刻字されているらしい。
次に、王墓造営と維持に携わる人々が住んでいた「職人の町」へ向かう。
この墓はとても狭いので後ろに目一杯下がっても全体写真は撮れず、また、順に数人しか入れない為にゆっくり出来なかったのが残念だった。
インヘルカウ墓内のアビヌス神(木乃伊製作の神)