4日目(3月24日)
サマルカンドからバスで3時間程のティムールの誕生地、シャリフサブスへ向かう。車窓から雪を頂いた天山山脈が雲の切れ間に見えて来る。麓の村には杏の花、カシューナッツの花、そして、桜が良く似た感じで咲いて早春の風情だが、素人の私には花の種類が判別できない。
町々町には立派な学校が目に付く。ウズベキスタンでは識字率は100%とか、教育には特に力を入れている。ソ連時代に推し進められたモノ・カルチャーから脱却を図り、豊かな文化を築くために、日本から教育に対する支援が期待されている。
アフガンへ桑の芽吹きの道続く
ジャハンギール廟
サマルカンドからシャフリサブスへの道路から天山山脈を望む
鳥の巣やシルクロードの検問所
昼食を摂った私邸に杏の花
手を振って笑顔を返す春の村
立派な校舎が通過する町々に見える
その後はひたすらブハラへ向かう。土地の起伏が少なくなり砂漠地帯へ近づく。途中の町では、コウノトリが電柱やモスクのミナレットの上に巣を作っているのが見えた。
昼食はこの日も近くの私邸でいただく。旅行社と契約してこんな機会を与えてくれるのだ。
そこからチムールが植えたプラタナスの樹があるモスクの中庭を通って、彼が若くして戦死した長男の為に建てたジャハンギール廟の遺構へ行く。基礎の残る空き地から広大な廟だった事が分かる。ここは「大いなる力の座」を意味するドル・ティラダット建築群と云われ、この中にはティムール自身の墓も用意されたが、彼はサマルカンドに埋葬された。
子を失せし王の涙か春霙
アク・サライ宮殿から、「瞑想の家」と云われるドル・ティラワット建築群へ行く。チムールの父や恩師たちが眠る廟が並ぶ。この建物内部の装飾はタイルとは違いフレスコ画で施されている。
チムールが植えたプラタナスの樹
敷き詰めて保存の青タイルの敷石
欠け合わす敷石青し春愁う
春吹雪くチムール像へ誓う婚
門塔の上からの眺望
ところが、ガイドのマリカさんが管理人と交渉をして、かつて宮殿全体を敷き詰めていた青タイルの保存場所を特別に見せて貰えた。フランスの援助で発掘されたこれらタイルを敷き詰めた建物があり、ウズベキスタンの宝として大切に保存されている。
バスから下りて、傘を差しながら、ティムールの立像(1996年)を横に見て、宮殿の巨大な門の遺構へ行く。破壊される前は50m以上の塔の高さが今は38mだけ残っている。。塔の中の不安定な石段を登ったが、期待した眺望は雨でくすんでいた。
チムールの像に訪れた新郎新婦
彼の雄大なアク・サライ宮殿へ行く。サマルカンドに比肩する町造りをしたが、16世紀にブハラのアブドゥール・ハンによってここのティムール遺産は破壊された。
古都シャフリサブスへ到着した。
7世紀に玄奘もインドへの途上に立ち寄った記録もある。
しかし何と言っても名を高めたのはチムールの存在だ。ここで豪族の家に生誕し、次第に頭角を表して、ここから広大なチムール帝国の支配者となった。
天山を仰ぐ学舎や花杏
走行中のバスの窓は高いので、通過する村々の様子が眺められて興味深い。例えば・・・・
1、変わった所では、天然ガス資源は豊富なのだが、家庭用のガス管は地下埋設ではなく地上を走る。
2、州を越える時には検問所が必ずある。撮影は禁止されている。
3、海外へ行く許可証の取得に州政府の建物には長い列が出来ている。旅券発行の制限はきつい様だ。
4、車は「大宇:DAEWOO」と「シボレー」のブランドが多い。当地でノックダウンの生産をしている様だ。
5、そして、手を振ってくれる人が実に多い。人懐っこさが感じられて旅する人は温かい気持ちになる。
次なる観光地、ブハラには日が落ちてからの到着だった。
着飾りてロバ乗る少女春の雪
春泥やシルククロードの深轍
天山山脈の端の高地へ差しかかると、雪が降り始めた。広い畑が一面に斑雪(はだら)となって覆われている。
地上を走るガス管:道路との交差では上の様になる
巨大な門の跡、中央にチムール像が見える
春吹雪く開けっ放しのロバの小屋