西バルカン

はじめに

旅行社の提供する欧州へのツアーで、近年はバルカン半島の西に位置するスロベニア、クロアチアの旅が目に付く。そんな中で、日程がぴったりな物があったので、お任せのプログラムで駆け足の旅をした。
欧州への出張が多かった1980年代の東欧へは足を踏み入れるチャンスは全く無かった。他の東欧の国でも良いのだが、特に「火薬庫」と云われたバルカン半島に興味があった。

 チトー大統領を軸としての旧ユーゴスラビアは南スラブ人の国と称して、複雑な連邦の事情を抱えていた。「七つの国境に囲まれた、六つ共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字を一つの国家にした」と言われた。すなわち、、、

七つの国境は、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシァ、アルバニア
六つの共和国は、スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア
五つの民族は、スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人
四つの言語は、スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語
三つの宗教は、カトリック、東方正教、イスラム教
二つの文字は、ローマ字とキリル文字(ロシア文字)

 1980年のチトー死後、中央集権の纏めるタガが外れた様に、それぞれの国が分裂・独立し、その過程で、また、その後で、多くの混乱と紛争が絶えなかった。

 その間には、多くの死者と難民を出したクロアチアとボスニアの紛争があった。更に、21世紀になっても、セルビア内のコソボ地区の紛争からNATOの介入などがあり、今も、国際監視下に置かれている。

 これらは第二次大戦後の経緯だが、それまでも、それぞれの時代の強国の侵略や支配に翻弄された土地で、モザイクの様に複雑に文化が交錯しているのだ。通過するだけだが、何かしら掴めたら、と思ってこのツアーを選んだ。

1991年には、スロベニア、クロアチアとマケドニアが相次いでユーゴスラビアから分離独立する。ボスニア・ヘルツェゴビアは1992年に独立。その後、セルビアとモンテネグロはユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成したが、2006年に解体して、両国がそれぞれに国連加盟をした。

蛇皮を脱ぎ国境を渡りけり

亡国や取り巻きのみの避暑地とや

オリーブの花降るスラヴの哀しみも


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スロベニアの世界遺産・ポストイナ鍾乳洞前の独立戦争に使われたタンク