12月9日

 ハロン湾の島々と、近くに停泊して夜を過ごした2〜3隻のジャンク船が薄靄に姿を見せながら、静かな朝を迎えた。7時に錨を上げて、それぞれのジャンク船がゆっくりと動き出す。我々の甲板では船客を集めて女講師の太極拳が始まった。打ち解けた雰囲気で、船客全員が出席して興じる。
 朝食後に数少ない展望台のある島へ上陸する。石段を登り切った所に、携帯電話のアンテナも兼ねた見晴らし台があった。見渡す限り、同じような島々が広がっている。ジャンク船と漁船以外には殆ど海上交通も無く、静かな風景がすばらしい。
 全てのプログラムを終了し、11時にハロン市へ帰港してチェックアウトを済ます。ハノイへの送迎も行きと同じ車とガイドが付いてくれた。成田行きは深夜の0時発なので、夜までこのミニバスの利用予約を事前にしておいた。
ハノイ市街のラッシュはバイクが主体
 村全体が焼き物を生業にしている、ハノイ郊外の陶器村、バッチャンで4階建ての工房見学をして、そこで小さな絵皿を土産に買った。看板はベトナム語に英語と日本語が併記してある。14世紀以来の伝統技術を今も伝え、ベトナム全土だけでなく輸出もしている。

 
 途中のトイレ休憩は観光客相手の土産物店だ。大規模な店でベトナムの土産は何でも取り扱っている。数十人の刺繍の針子が店内売場で作業を客に見せている。聞けば、北爆時の不発弾による事故障害者や、戦争孤児たちが篤志家の雇用でこうした職に付けているとの事だった。
ハロン湾の朝
冬日向ジャンクの舟で太極拳     藁包むバッチャン村の丸火鉢     


ペット犬など知りません薬喰い    街騒へ強盗マスクのミニバイク
 活気溢れるハノイ市街では交通渋滞を縫うようにして幾つかの名所を案内してくれた。パリのノートルダム寺院を手本として建てられたセント・ジョセフ教会の敷地内には17世紀に建てられたハノイ最古の礼拝堂がある。その周りの広場には若者たちがバイクを駐車して、酒場に屯っていた。近くのパリ風カフェ―で上質なプリンをガイドが注文した。旅行社のサービスだそうだ。

 次に、11世紀の皇帝、李太宗が世継を授かった感謝の意を観音菩薩に奉げるために建立された一柱寺へ行く。木造で一本の石柱の上に、蓮の花をイメージして建てられている。フランス撤退時に破壊されたものを新政府によって再建されている。

 近くのホー・チ・ミン廟へ向かう。閉館で、十二年前と同様に、外から眺めるだけだったが、入口には白い軍服の衛兵が二人立つ。国民はベトナムを解放した偉業に対して強い敬愛の念を抱いき、本人は火葬を希望したが、遺体をこんな形で維持された。「この維持管理で遺体は毎年ロシアへ送られる」とガイドの説明。
おわりに
 

 ベトナム戦争に関しては、アメリカ側からの報道と小説や映画作品でしか得られなかったが、旅行後に、友人の薦めで、この戦争を北ベトナム側から描いた、バオ ニンの「戦争の悲しみ」を読んだ。
 フィクションだが、ベトコンとして作者の実体験から生々しい酸鼻な戦場と、サイゴン解放のタンソンニャット空港突撃の高揚感、それに織り交ぜるように描かれた戦争による恋人との別れなど、心の動きも見事描かれている。北ベトナム軍人としてベトコンに身を投じる前と、凱旋後の心の葛藤も「戦争の悲しみ」を活写して余りある。あの四階建て家屋の並ぶハノイの市街で、北爆がこんな風に繰り広げられていたかと、今更ながら思う。

 ベトナム戦争の痕を直接目にしたのはビエンチャンのリハビリセンターに置かれた解体されたクラスター弾のケース利用だけだったが、表層的な観光では見られないさまざまな「戦争の悲しみ」が、このベトナムに、そして、補給路ホーチーミンルートの走ったラオスにもあるのだろう。

一柱寺の本尊・観音菩薩
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 お薦めの高級ベトナム料理店へ行き、旅の最後の食事を楽しみ、そして、空港へ向かう。深夜のベトナム航空機は翌日の早朝7時前に成田に到着した。
ホー・チ・ミン廟
バッチャン村にて ベトナム刺繍の針子たち