「波」誌・2006年4月号掲載: <俳句誌の鑑賞>

内藤鳴雪を師系とした渡辺水巴の創設で、次女の渡辺恭子氏が主宰。今年は九十周年になる。

この長い歴史を小川原嘘師氏が「渡辺水巴の世界」として連載中。今月号は丁度「曲水」の創刊時期で、師の内藤鳴雪に反して「ホトトギス」の同人にならずに決別した水巴の経緯を描く。俳句専業でもあった水巴の筋目が窺える。

主宰の「蓮の骨」十句から、「人形塚手毬唄でも聞かせたや」「不忍池黄泉一望の蓮の骨」など、事象へ意を折り込む手法。

「青雲集」から小林吐秋氏の「群れ飛ぶは鴎か鴨か波騒ぐ」、藍沢律氏の「杭の陣取りて取られて都鳥」など吟行句も多い。

水巴賞作家、山田ひろし氏の七句から「両神山の木霊鎮めの春の雪」そして、新人賞作家の有本妙子氏の「一筋の滝を遠目に身を正す」、同じく芹澤弘子氏の「馬よりも濡れて競技の馬洗う」が印象に残った。

「曲水」の作家には、ここにある方々の他にも、水車、月霜、碧霞、冬扇、飛佐など、気取った俳号が多く、楽しい。

「篠(すず)」一ニ八号

「曲水」二月号

岡田史乃主宰。東京は赤坂が拠点。

主宰の「甲斐の富士」から「凩はどこへ仕舞つた甲斐の富士」「捨てに出る器のなりの寒の水」「冬といふ物体として神在す」など洗練された詩的表現。
辻村麻乃氏の「すべて丸丸連なりて菊の花」「風呂吹きの芯の熱さよ幸せよ」や畠山汝破氏の「十月や少し濁りのある日差し」などからも都会的センスが感じられた。

多くの吟行句が発表されている。長瀬ナヲ子氏の「鍋島の秘窯の里に時雨降る」、柴八千世氏の「天高し立山連峰鼻の先」、石田繁子氏の「近江路は石垣の町秋深し」など地名が活きる。

主宰による藤井智明氏の句集紹介で、欧米諸国の句が並んでいる。「青野なるケルト十字架石古りぬ」、「ハンガリー舞曲のはねて虫の闇」など印象深い。

柴生田俊一氏の地球歳時記「禅と俳句」が読み物として連載されている。ハケットの禅研究を通じて、蕪村の「釣鐘にとまりて眠る胡蝶かな」の欧米での衝撃や、自然中心の東洋と人間中心の西洋の違いについて、禅を絡めての論は奥が深い。

坪内稔典代表で関西を拠点とする。俳句誌の形式でなく「船団は叢書、シンポジウム、句会などを通じて、場の共同の力を、未知の俳句を生み出す力へ転化することを目指します」とある。巻頭句も主宰の句のページも設けられていない。船団の意味が判る気がする。

「船団」第六十七号(季刊)

特集は「道端の草を訪う」で全会員百二十四名が参加。四季を通じて観察し、一草一句と自句自解、それに、ふけとしこ氏のカットが添えられて壮観。

その中から、尾崎淳子氏「かたばみは這ってはじけてまた明日」、谷さやん氏「大うば百合心は焦げてなどをらぬ」、坪内稔典氏「愛人は木漏れ日みたい葉黒草」、陽山道子氏「おーい雲一生いっしょ牛膝」など、身近な雑草を使って、自由自在である。

序列も無く、会員作品が全員七句づつ。それを五名の選者が十五句づつ選び感想も付けている。
その中から、平きみえ氏「臍の緒とつながっていた終戦日」、稔典氏「六十代は眠いよ眠い朝の虹」、中原幸子氏「影長き人らロンドンの真夏」、三池泉氏「カルメンのくわえた薔薇に毒ありぬ」、池田澄子氏「もう秋とあなたが言いぬ私も言う」など、シュールもあって現代的、そして、明るい。ピカソかダリの絵のようだ。

ところで、毎日更新されるホームページ「E・船団」も人気の高いサイトだ。自由奔放な船たちの集団へ見物客も多い。

「浮野」ニ月号

昭和五十三年の創刊。師系は長谷川かな女・秋子。落合水尾主宰の下、埼玉や東京を拠点としている。

主宰の「水韻集」から「枝上げて炎のごとし裸木は」「セーターの戦闘色は婚姻色」など事象に想いを込める力を感じ、又、別掲の主宰の吟行句「冬うららつまんでみたき竹生島」もその措辞の的確さに感服する。

この俳句誌には句集紹介、句評、自解などが多い。作句するだけでなく、鑑賞する楽しみも追求している。毎月の投句表には「本号からの選句欄」も用意されている。

太田かほり氏は「現代俳句展望」で結社外の十一秀句を四ページにも亘って詳細に評論。一句当り五百字の力作である。

主宰選の「浮野集」から、小林艸舟氏のマラソンの高橋尚子を句材とした「復活を果してテープ切る冬晴れ」(感性のきらめき。喝采。季語も確定)、増田月苑氏「山のため息梟の夜がふける」(捨象。詩的空間大)坂本和加子氏「咳込んで火の山を吐き出だしけり」(誇張表現。迫真力)と力作に主宰の評がすばらしい。()内はその核部。非定型の句に力も感じる。

中島睦雄氏になる絵手紙風の表紙の椿が、この結社の強さと潔さを表しているようだ。


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