・マサイ族の装飾
勇猛なマサイ族も祭には、身体を赤い染料で化粧して、色鮮やかなビーズを使った装身具を身に着ける。昔はもっと生活に密着していたのだろうが、1970年代には、観光客を相手のマサイが居て、更に派手になったのだろう。男たちが集団で槍を持って叫びながら高く飛び跳ねる踊りを披露して、客を露店の土産物屋に誘っていた。マサイ族でないのに、そんな仲間に入って手伝う人も居るとも聞いたが、、。
我々の時代には、そんな場所とはまったく離れた所でも観光マサイではないマサイ、つまり、本物と出会うことも多かった。
時として、瘤牛を放牧していたり、槍を持って一人で悠々と歩いていたり、ライオンと向かい合う気概を持った勇者の姿を備えていた。
魂を取られるからと写真に写るのを嫌い、車から隠し撮りしたカメラマンへ槍を投げたと云った話も耳にした。
また、目の良いことはこの上なく、数百メートル先でも視力が届くらしい。
女性は村で家と子供を守っている。ンゴロンゴロの観光客の多いマサイ村では、写真を撮られるために寄ってきてお金を求められた。おぶられた背の子供まで手を出してせびられて驚いた。
しかし、国の枠組みが、彼らの昔からの生活との関わりも無く進行する中で、時代は若者を都市へ送り、彼らは高等教育を得て、社会に入っていった。そんな中には、国防大臣から総理にまで上り詰めたソコイネ氏なども居る。
そして、タンザニアのマサイ、ケニアのマサイと昔はひとつの民族だったのが、国境で区切られて行く。今でも、自由に往来しているのなら良いのだが、、。
既に、自由経済になっていた1998年に、タンザニアを再訪したときには、首都ダルエスサラームの夜警や守衛などの職業はマサイが多いとの話も聞いた。
マサイ女性のビーズの装身具

