宮古島(2025217日~20日)

宮古島へ上陸する機会は昨年のクルーズ船の寄港予定に入っていたが、荒天のために寄港できなかった。今回はSさん夫婦と4人でU旅行社へ空路のツアーを申し込んだ。

宮古島は沖縄本島と八重山諸島の中間にあり、双方とは300㎞ほど離れている。

プレート移動で大陸から離れた沖縄本島や八重山諸島とは異なり、宮古六島はサンゴ礁が隆起した島々で全体が石灰岩の平坦地、山も河も無い。米作は無く、砂糖黍、葉タバコ、ゴーヤ、マンゴ、南瓜などの作物が主な産品だ。標高の一番高い地点は113mのナカオ嶺とか。しかし、水はけが極めて良い事から、降雨が地面に浸透して地下水が豊富で、海にまで湧き出している。河からの土砂などの流入が無い為に透明度の高い海が広がっている。赤土の下は石灰層、更にその下には粘土の層があり、そこで止められた降水の半分は湧水となって島民の生活を支えていると云う。但し、硬水のために軟水器を各家庭に備えているらしい。

宮古島全体の総面積は204平方キロ(東京23区の1/3程)、人口は5万人強で、今ではここに戸籍を持たない移住者が増えているらしい。

ツアー社は、宮古島本島と橋で結ばれる伊良部島、下地島、来間島、池間島、そして、未だ橋での接続のない大神島の六島を巡る旅を謳っていた。結果として、目玉の大神島へは、荒天理由に出航ならずキャンセルとなって、代替えは宮古島市総合博物館だった。

 
宮古島の六島                       池間大橋(全長1425m)左は大神島

217日(初日)

羽田空港より宮古への直行便で3時間余で到着する。途中の富士山上空では見事な景色を窓側では見られた様だったが、それの叶わぬエコノミーG席で、初めて体験する機内Wi-Fiでネット句会の選句をしていた。

この日は宮古島空港からバスでホテルへ直行した。ツアーは19名(概ねが70歳以上で、夫婦は6組)で構成されている。この人数では大型バスの二人分の席にゆったりと寛げる。ホテルは平良港に隣接しており、6階の部屋から港の全体を見る事が出来た。


機窓からの妻の写真       ホテルのベランダから宮古島の港

   
   はじめての機内Wi-Fi地虫出づ        春霞む離島へ小さきフェリー発つ


218日(二日目)

朝食後、宮古島の言葉で「趣のある道」と云う意味を持つ「綾道(あやんつ)」の平良(ひらら)コース、この島の古くからの中心地を、移住10年の現地ガイドの良さんと歩く。紙芝居なども用意してとても分かり易く宮古島の歴史解説しながら史跡を案内してくれた。気温は15度、この地ではとても寒い。

 街中に残る墓や祖霊廟を観ながらひと歩きして、宮古神社に到着する。日本最南端の神社で熊野三神と豊見親(とぅゆみゃ)三神が祭神とされている。

神社の由緒によれば、<天正18年(1590年)平良首里大屋子(地頭職)平良(名・要宇か)が海難漂流するも九死に一生を得て、8年後に帰国す。これ皆故国の神々のお陰と、琉球第一の宮・波上の神々を宮古に勧請す。(由来記)

慶長16年(1611年)薩州の検地使の上奏により、琉球王朝は瓦葺の立派な宮とし「宮古熊野三所大権現」の称号が贈らる。云々> とある。

豊見親三神はかつて宮古島を統治した首長で、その云われ、物語を現地ガイドの良さんは紙芝居を使って丁寧に解説した。礼拝して神社の前の道路を挟み祥雲寺(臨済宗妙心寺派:1611年開山)を覗く。コンクリ造りで味気ない建物だが、「宮古島で除夜の鐘はここの鐘だけ」、とのガイドの良さんの解説。ただ、石灰岩で出来たこの寺の石垣には宮古島独特の技術があり、その昔の姿を留めている。

良さんの解説をリモートイヤホーンで聴きながら、14世紀の室町時代、(琉球統治で人頭税に苦しみから反乱を起こした石垣島の英雄)オヤケアカハチとの戦に勝った仲宗根豊見親(空広)因む小振りな漲水御嶽(うりみずうたき)に寄る。次いで、その彼が父の霊を弔うために築造の墓へ向かう。この墓は海を見下ろす小高い丘にあり、前面は13段の階段、上に7個の立石が並ぶ宮古島一の巨大な墓らしい。宮古島古来の“みゃー”と沖縄本島風の横穴式の折衷様式で、沖縄本島との文化の交流を裏付ける墳墓。この墓の前には洗骨用の水場がある。ここから少し離れて仲宗根豊見親(空広)自身の墓もある。


       宮古神社                    仲宗根豊見親(空広)の墓


     遠足や地元ガイドの紙芝居               春草や隙間の多い王の墓


昼食後に楽しみにしていた、唯一の船で訪ねる大神島の散策は、天候不良でキャンセルされ、代りに宮古島市総合博物館の見学となった。館内の宮古島の歴史や風俗などを見る。

 宮古の地名がはじめて書物に現れたのは中国元の歴史書。鎌倉時代に宮古の人が中国温州に漂着しその事を「密牙古(みやこ)」と記録されている。その頃の宮古は多くの豪族がそれぞれ争っていたと云う。

続いて宮古市熱帯植物園を散策する。園内は綺麗に整備され、シーサー作りの体験コーナーや宮古馬小屋、そして、いくつもの鉢植えのブーゲンビリアが咲き誇っていた。美しく整備されている園内に海軍の地下塹壕が残っていた。案内図によれば、「海軍第313設営隊(650人)」の本拠地とか、この辺りには34ヶ所の塹壕口があり、中には総延長500m以上の及ぶものもあると記してる。太平洋戦争では米軍の上陸は避けられたが、激しい空爆や艦砲射撃を受けている。終戦までは島への補給路が断たれ住民や兵士は飢餓に苦しみ、多くの死者を出した。

帰りに夕食を摂る。宮古牛と海の幸の鉄板焼き、「雪塩」ブランドの経営レストランのようだ。


 宮古の古き風俗の展示                植物園の鉢植えブーゲンビリア

 
  うりずんや柵に苛立つ小さき馬          古草や塹壕口へ案内図


19日(三日目)

昨晩に食したステーキが原因かは不明だが、残念な事に体調不良で二人がホテルで過ごす事になってしまった。

 他の人達はバスで半潜水式水中観光船の港へ向かう。その港の前には「ドイツ文化村」が佇まいを見せている。この水中観光船は座席が水中に設えているので、横の窓から海中を眺めることが出来る。船は浅い珊瑚礁を丁寧に巡って、様々な魚や珊瑚の姿を見る事が出来た。一瞬だったが海亀も遠く眺めた。船の甲板から餌を撒いて魚を寄せていたらしいが、今では魚もエンジン音で餌を期待して集まるとか、楽しい時間だった。珊瑚礁に多い子安貝は見つからない。

水中観光船の後は、昼食を済ませ、来間島へ渡って、展望台より来間大橋などの景色を楽しむ。正に宮古ブルーの珊瑚礁の海が美しく、所々には水雲の養殖棚も見える。

次は宮古島は島尻へ向かい、奥行1㎞の入江にあるマングローブ林の木道を歩く。海の森とも云われるここマングローブ林にはオヒルギ、メヒルギなど5種類ほどが分布している。途中に些か古い立派な石の橋があったが、橋桁辺りから木々が勢いよく成長して、このままでは橋を崩してしまいそうだ。

その後、池間大橋を渡りバスは展望台のある池間島の中央部まで入る。小さな商店の屋上が展望台で、見事な宮古ブルーの珊瑚礁、池間大橋、そして、昨日に行けなかった大神島も遠望できる。ここの店の土産は他より安いと云う、バスガイドの下地さんの話もあって、何人もが色々と買い込んでいた。家内は海ぶどうとグラスを買い込んで、私は貝殻を買った。「下地」姓は宮古島の1/4も多い姓でバスの運転手も下地さんだった。

次に「宮古島海中公園」へ行く。ここでは海の生物など観察できる水深3~5mに造られた施設で、長い階段を降りれば、午前中の水中観光船と似た光景を見る事が出来る。珊瑚礁に見え隠れするカクレクマノミ(ニモ)も見る事が出来るので、子供に人気のスポットらしい。コーナーに子安貝の標本があったが、無残にも全て褪色していた。


                 半潜水式水中観光船にて


     展望台からの池間大橋 色の濃い水雲の養殖棚が見える
 

     春日入り珊瑚の海の底揺らす        舷窓の横の眼張と睨み合い
 

     春光や宮古ブルーを肯えり          南海へ日の豊かさや水雲棚


 この日の夕食は自由なので、近くの「島唄楽園美ら美ら」でライブを楽しむ。4人の予約が残念ながら3人になってしまったが、迫力あるライブと泡盛のお湯割りを宮古島風に楽しんだ。Sさんが60年前に聴いたと云うリクエスト曲は古すぎたのか、途中で歌えなくなった歌手が演技後に釈明に来たりした。




     居酒屋に三線弾け春の宵           泡盛の湯割り宮古の春浅し


220日(四日目)

 朝食後、昨日と同じバスで、先ずは伊良部島の牧山展望台に行く。その展望台は渡り鳥のサシバの飛翔する形にしている。後ろの方からこの展望台へ向かうので、その形には見えないが、前方からは大きなサバシの形を成しているらしい。毎年、秋に北から伊良部島へ渡って来るサシバの中継点で、この島のシンボルなのだ。遊歩道には椿、緋桜などが咲いている。展望台からの光景は、美しい海と渡ってきた伊良部大橋も一望出来て見事なものだ。

次いで、佐和田の浜で途中下車して、数多くの巨岩が湾内に転がっている一風変わった光景を見る。1771年の明和の大津波によって運ばれてきたものと言われる。「津波の置き土産」として観光資源にもなっているとか・・。


伊良部島の牧山展望台(サシバの後ろ姿)      佐和田の浜の「津波の置き土産」と


    展望台はコンクリサシバ落椿             南国の春を四人の旅カラス


次にバスは伊良部島に隣接する下地島に入り、「通り池」なる観光地を歩く。茂ったアダン林の先にその池はある。上空からはふたつの池が並んでいるように見えるが、これらは地下で繋がっており、更に、海側の池は海にも通じている。ふたつの池の先はアダンの木は無く、木道で海の側まで歩け、風が心地よい。この木道沿いの草花は学術上貴重な植物で、それらが分布していることから、この「通り池」は国の「名勝」と「天然記念物」と珍しい二重指定されている。

次に向かった下地島空港の横にある「17END」。この白浜は美しい宮古島でも最も透明度の高い美しいビーチと云われるとか、空港脇の歩行者道路を歩けば、若者たちがその防波堤に寄せる波と白浜で写真を撮り合っているのが見える。

この特異な名前の由来は滑走路の先(Runway End)が角度が北から170度の向きにあることに由来するらしい。元々、パイロット養成の訓練飛行場として開設されたが、ANAJALも海外へ訓練飛行場を移し、またコロナ禍で、2020年には閉鎖に追い込まれる厳しい状況が続いた。今はスカイマークとジェットスタージャパン、韓国のジンエアーや香港からの臨時便がある国際空港となっている。空港ターミナルビル内は木材を使って美しい内装らしい。



  上は 「通り池」  下はその先の木道からは貴重な植物が見える

 最も白い砂浜「17E]を歩く


       水温む地下で繋がる池ふたつ       うずりん靴を鳴かせる浜真白


昼食は昨年5月に開店した海沿いのレストラン「THE SURF」でブイヤベースなどを楽しむ。「この辺りには芸能人や移住者の新築別荘が多い。新しいホテルの進出もあり不動産バブルになっている。家賃や物価の値上がりのバブルで生活が大変だ」とガイドの解説があった。
 宮古島ではレンタカーを利用する観光客が多い。走る一般車の殆どはレンタカー車の「わ」番号だ。慣れない土地での運転で交通事故も多いらしく、道路の所々には他の土地では見た事も無い交通警察官の人形が置かれている。少しは事故防止に効き目があるのだろう。この人形には「宮古島まもる君」など名前が付いている。

バスは高さ30mの断層海岸「ムイガー断崖」、そして、宮古島最東端の「東平安名崎」を歩く。岬の高台からは多くの津波の置き土産の岩が海に転がっているのが見える。この岬には「マムヤの墓」なる巨石がある。悲恋で命を絶った絶世の美女の墓が、明和の津波で転がってきた岩の中に置かれていた。この岬ではトライアスロンの大会も開かれる。灯台までの散策路周辺にはハマウドや八丈芒などがごつごつの石灰岩の土地を隠すように海風に吹かれている。ひと歩きしてバスに戻り宮古島での観光は終了した。


宮古まもる君          明和津波の置き土産は漁港にも、東平安名崎の灯台脇にも


      道の辺にポリスダミーの日の永し         灯台の点る刻なり春の雲         


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