アイルランド島一周・ドライブ旅行(2005年7月21日 → 8月5日)

アメリカ在住中、3月17日を「聖パトリックス・ディー」として、アイルランド系アメリカ人を中心に、春の訪れの象徴として祝われていた。我々も一緒になって、ネクタイの一部など、どこかにシンボルの緑を衣服に付けて勤務したこともあった。

19世紀のアイルランドの大飢饉の際に新世界へ貧しさを逃れて多くの人が移住した。その数は100万を越えたらしい。苦労して底から這い上がり、アメリカ社会の一角を成すに至った。その代表格のケネディーの曾祖父の街を今回は通過した。私の上司の一人もアイリッシュで、その粘り強い交渉力には感心していた。

今回の旅行前に、読んだ本には、「アイルランドは人がすばらしい」とあったが、実際に現地で会った人たちは我々にとても親切で温かさを感じた。

一方、隣国英国とは、長年の従属関係から複雑な対立意識を感じた。1949年に英国からのアイルランド共和国としての独立、1999年に北アイルランドに自治政府発足、などを経緯して和平実現が進んでいるが、過去の歴史のから、この両国の関係は微妙である。
避暑客を歓迎する各国の国旗がホテルやパブなどに掲げてあったが、ユニオンジャックは一つも無かった。逆に、英領の北アイルランドでは、これを掲げる家が多い。宗教を綾にしての侵略と迫害の歴史が今も影を落としている。

我々の旅行中にIRAが武装解除を宣言して、北アイルランド問題は和平へ少しずつ進んではいるが、まだ痛みを伴う動きがあるかも知れない。

<黒線:北アイルランドの共和国と英領の国境、赤線:ドライブ>

残念ながら、直前になって、毎年一緒に旅をしているIさんが中止したので、今年の手作り旅行は、家内と二人だけだった。ネットを使って航空券とレンタカーと数箇所の宿を予約してあったが、あとはその場の状況で、主にB&B(Bed & Breakfast)を選んで泊まった。

一般の民家を改造して、家人が寝室と朝食のみ提供する。数部屋の規模なので家庭的な雰囲気を味わうことが出来る。殆どが、各部屋にトイレとシャワールームがついている。朝食はアイリッシュとかで、パンや紅茶(コーヒー)と皿に卵にハムやソーセージとヴォリューム満点である。ジュースやシリアル、簡単な果物も、セルフサービスで取れるように置かれている。毎日、同じメニューなので、家人も準備が簡単に出来るのだ。殆どのB&Bの値段はひとり30−45ユーロである。

このアイルランドのB&Bは全国いたるところにあって、実際に探すのには困らなかった。この時期は正にハイシーズンの季節ではあったが、夕方5時前に飛び込めば部屋を確保できた。飛び込んで部屋を見せてもらい、納得すれば部屋と玄関の鍵を渡される。共通の居間には家族の写真などが飾られて、その家庭を窺い知ることが出来る。

<↑クリフトゥンのB&Bにて>

<←B&Bの朝食:これにパンとシリアル、果物もある>

欠点は夕食を外で取るために、家人からレストランの情報をもらって出てゆかねばならない。歩いての距離なら良いが、車の距離では飲酒運転の危険性もある。


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