虹かかる地平線行く象家族
1964年の東京オリンピックの選手村で選手、役員輸送車のドライバーとしてバイトをして以来、会社に入っても、海外への想いが膨らんでいた。
そして、海外関連の仕事に就く事は叶えられた。最初の赴任地アフリカでは、タンザニアでの工場建設であった。大きく豊かな自然環境と、発展途上前の社会での五年間の体験は、以降の海外での生活や仕事の、謂わば、私の物差しになったと思う。
当時のタンザニアは社会主義国で、隣国のケニア、ウガンダと東アフリカ共同体を構成していたが、赴任中に解体する不安定な状況下であった。
<アフリカ>